2009年9月26日土曜日

「極上めちゃモテ委員会」

ザッピングしていて酷いアニメをやっているのに驚いた。タイトルは「極上めちゃモテ委員会」という。キャラが酷いとかコンティニティーが成立してないとか声優が素人とかそんなことがどうでもよくなるくらいとにかく酷い。一言で言って「汚い画面」のアニメである。レイアウトがなっちゃないとかそういうレベルにも達していない。もはやアニメーションという表現手段はここまで変質してしまったのだということがよくわかる番組である。コマーシャルで流れる3Dの方は比較的見られるのに対して、アニメの方は画面からにじみ出るいい加減な投げやりオーラというか、何が楽しくてこんな作品に係わっているのか疑問を感じるほどスタッフ自らはおろか視聴者へさえも人としての尊厳を破壊している画面である。何が起こっているのだろう?昨今のドラマがまだメッセージ性を有して頑張っているのに比較して最近のアニメは年々質が劣化していくばかりである。たまに深夜で頑張っているように見受けるものもあるが、それらにしても画面のケレンばかりで本質的な質はあきらかに劣化している。これは作り手の劣化というよりも、内容のあるものを排除しようとする一連の陰謀めいた思想さえ感じられてしまう。昔のアニメによくあった巨悪への憤り(公憤)や権力への反骨精神といったものは、公共メディアに載せないよう圧力が目に見えてかけられ、そのようなフィルムを作る人間達を抹殺するための検閲と言論統制が計られ続けた結果なのだろうか。これはもはや儲けることが正義という資本論で語られるレベルを超えている。いや、それとも究極のそれに至ったということなのだろうか?もはや「真面目に生きる」という言葉は死語になってしまったのであろうか?そんなぞっとするような考えを持たされてしまうくらい恐ろしい番組であった。

そのあとTVをつけっぱなしにしていたのだが、直後放送されていた「しゅごきゃら」とかいうアニメはまっとうだったことを考えると、前述の「めちゃもて」のスタッフ、現場ではなく言論統制をしている機関=プロデューサー等が非人間的なのだろうと推測する。「しゅごきゃら」というアニメもはじめて見たが、こちらは普通の番組だった。続き物らしいが内容はステレオタイプなので理解できた。こういうものは年々再生産されてよいものだ。人は何と出会うかも大事だが出会う時期も同様に重要である。真理は名を変え形を変えこうして繰り返し繰り返し人口に膾炙し続けなければならない。それが作品としてのメディアの役割でもある。

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