2011年4月30日土曜日

昨今の流行り?

私が苦手なのは、いわゆる厨二病的な「俺には理解出来ている」「このような高尚なものが理解出来るのは俺だから」「世間のヤツラは頭の悪い番組で笑っているアホばかり、それにひきかえ、俺は深い」などの、猪口才で小賢しく、頭でっかちの非体験な、アンチ経験主義的妄想主義者の方々なわけですが、実はヒット作というものは、このような厨二症候群をターゲットにすれば成功する。という、この業界の常識があります


例えばアニメなどの、エヴァを代表作とする一連のものはすべてこのルールに則って作られています

もちろん、狙って作っても、微妙なアヤを敏感に感じ取る厨二な皆さんは、ほんの少しの異分子をも見逃さずダメ出しをするので、なかなか大ヒットするのは容易なことではありません

それでも、当たれば儲けはデカイですから、この手の作品は毎月毎月これでもかと生産し続けられているのが現状です
しかし、私から見れば、これらはすべてペテンなわけで、まあ騙すよりも騙される方が悪い…と言われてしまえばそれまでなわけですが
少なくとも私個人は、なるべく悪の片棒は担ぎたくないなぁ…と
でも、なにかしら生きていかなくてはいけないわけで…

ほんと、お金を稼ぐってたいへんなことだなぁ…と(笑

2010年10月29日金曜日

ニュースの見方が変わってきた

とどのつまり「ニュース」といえど『番組』のひとつであって、公平性や平等性など最初から担保されているものではないのだ。ということに遅まきながら気がついた。
だからこそ権力者に有利なようにミスリードする報道姿勢も、当たり前といえば当たり前だったのだ。むしろそうすることが「マスコミ」の『使命』なのだ。
そう思ってTVを眺めれば、そこかしらに垣間見える権力サイドや芸能人の勝ち負け報道が、相撲の星取り発表みたいで面白いな。
昨今は毎日のように『官僚幕府』側の勝利が続々と報じられていて、そのたびに我々『民衆』側の敗北が告げられているということなのだが、そのことにさえ気づかず「興味ねぇよ」と言っている程度の民度であれば、それはまあ、彼等の『奴隷』として、賃金貰って(4千年前から変わらないシステム)いいように使われて、権力者が遊んで旨いもの食えるのようにあくせく働くのも仕方ないよなー。と、TVはこういうことも教えてくれるからなかなかなものかも知れない。

2010年10月25日月曜日

民主党ってなんか昔の地頭みたいだな

中学でか高校でだったかは忘れたが、古典の授業で「泣く子と地頭には勝てない」という一文があった。
『地頭』というのは地方へ派遣される官僚のことだが、彼等はその地位を手に入れるために多額の賄賂をつぎ込む。そしてひとたび任命されるや、その元手を取り戻し、さらに何十倍もの利益を得るために、地方を苦しめ食い物にしている、ということを嘆いている文書である。
今で言うなら、一番儲かると言われている沖縄・北海道長官をはじめ、各地方長官や地方官僚がまさに現代版『地頭』であろう。
さらに選挙という首の挿げ替え制度により、本来癒着を断ち切れるはずだった代議士制度にも、一度代議士に成り上がってしまえば、官僚とがっつり手を組んでの搾取三昧な生活をおくる事ができるという道が、官僚幕府によって保証されるている。

その罠にまんまとハマってしまっているのが小沢氏亡き後の民主党の姿だ。

それでも代議士は官僚と違い、その生活が一生涯保証されているわけではない。
それなら次の選挙までに、吸えるだけ甘い汁を吸っておこうと、官僚以上に意地汚い動きになるのは当たり前のことであろう。まさに今の民主党がそれだ。
小沢氏は自身の余命を考え、いくらかでもそういったことを整理整頓しようと手をつけた瞬間、案の定抹殺されてしまった。政治生命を奪う、政治的暗殺である。
で、残った民主のてっぺんを見ると、ボンクラの官ナオちんやリンチ殺人者・戦国、頭がいいと思われたくてすぐ人に騙される真性馬鹿の真エハラに転びモノの丘駄などろくなもんじゃない。
そんな彼等でも、民主がこのまま政権を維持出来るなどとは毛頭思ってもないだろう。
そこで『地頭』作戦である。
今の地位にある間に出来るだけ可能な限り、儲けておかねばならない。
だったらこのさい、日本を中国・朝鮮・ロシアに切り売りしてでも、官僚幕府と手を組んで儲けるだけ儲けておかなきゃ損だとばかり、なりふり構わずの暴れようだ。

つまり1300年経ってもこの国は基本的に何も変わってないということだ。

2010年10月15日金曜日

実写版カイジ見てるけど

くっだらない映画…
原作やアニメ版にあったいさぎよさが無く、べちゃべちゃした気持ち悪い台詞回し
なんでこんな意気地のない映像つくったんだ?
こうしたほうが世間に受けるとでも思ったのか?
または世間に疎まれないとでも?
もし微塵でもそう思っていたのなら、この原作に手を出すべきではない。
まあ、あくまで商売でやってんだから、このほうが客が入ると判断したんだろうな。
くっだらね…

商売でやるんだから、たとえば近々「アバター」のDVDが発売される、それなら「めちゃイケ」とかに「アバター軍団」を出して、芸人を追っかけさせよう。
そうすれば忘れていた庶民たちにも、「アバター」って映画をまた思い出させることもできるし、DVDの宣伝にもなる。
これくらいあざとくやるのが「商売」というものだ。

『映画』を創りたいなら、例えば高層ビルの1本橋から墜落した人間の、頭が地面に激突してグシャッと潰れた瞬間に、ビーフシチューの肉をクローズアップで口に頬張る紳士の絵を入れるとか。直截に人間を喰って楽しむ紳士たちといったメタファーを挿入するべきだ。

20世紀ならいざ知らず、21世紀に映画を作ろうと思うなら、やることやってくれなくちゃな。

2010年9月20日月曜日

勝ち馬に乗るには?

どんなに清廉で博識でりっぱな人格者であっても、カネを持たない男は「うんこ」以下である…という考えかたがある。言わずと知れた商人の理屈である。逆を言えばどんなに卑怯で卑劣であれ、カネさえあれば『りっぱな人』なのだ。

物理的兵器(剣・銃・ミサイルなど)での争いのない世界では、兵士(武士など)は不要となり、商人の時代となる。(文人・知識人は『負け組』なので『商人の世界』では人間以下=「うんこ」にカウントされる)
その商人の武器といえば、カネと情報操作である。
廉恥心や遠慮、情け心や人のために良かれと思う行動を選択することは、商人の時代にあっては「負け組」となることを意味する。

商人の理屈では「清貧」は「悪」であり、自らに害を及ぼさないいかなる手段も「正義」となる。

そこで今の時代「勝ち組」になるにはどうしたらいいか?
商才(他人を犠牲にしてのし上がる根性)がないものは、勝ち組に乗るのが一番である。

『驥尾に付す』(きびにふす)という言葉がある。
驥(き)とは麒麟(きりん)という幻獣の雄を意味する(麟は牝)。その麒麟の尾に付いてウマイ汁を吸うダニのことである。
つまり商才を持った人間にゴマをすり、くっついている(麒麟のしっぽにしがみついている)だけで、黙っていても勝ち組の仲間入りが出来るという意味だ。

では、現在の『勝ち組』は誰か?
もちろん、官僚とマスコミである。
官僚は『税金』というカネを自由に操れる存在であり、マスコミは『情報』をいくらでも自由に操作出来る存在であるからだ。
彼等『官僚とマスコミ』は国家がどうなろうと民衆がどうなろうと知った事ではない。
自分だけが幸せでありさえすれば、あとはどうでもいいのだ。

ならば話しは簡単である。
官僚になるかマスコミ人になればよい。
だが、それには幾許かの努力と運がいる。
それが出来ない、持てない一般人はどうすればよいか?
そこで『驥尾に付す』のである。
官僚やマスコミに逆らわず、奴らの前でペコペコ頭を下げるだけでよいのだ。
もっとも簡単なのは『お笑い芸人』になることだろう。
これなら勉強も努力もいらない。
ひたすらゴマをすり、頭をさげていればよいのだ。どちらもタダである。これほど元手いらずで楽なことはない。
あとは失言して嫌われないように、奴らのコンプレックスを刺激しないように気をつけていればよい。
スタートは知己を得るための『運』も少しは必要だが、一度つかんだら失敗さえしなければ、あとは一生安楽な生活が待っている。
食べ物だの便利な発明だのは『負け組』の連中が勝手に作ってくれるから大丈夫。
つらいことや頭を使うことは彼等に任せて、自分たちは享楽的に面白おかしく暮らせばよい。
『「生きる」とは「人生を楽しむ」ことである』

だから『勝ち組』になりたい皆さんは、周りをよく見回して『麒(麟)』な人を探すことだ。
気をつけなければいけないのは、本物の『麒麟』は幻獣と同じく滅多に存在しないということである。

2010年9月15日水曜日

今回の民主党代表戦はマスコミの勝利

民主党代表者投票は官(僚)総理で決定した

結果は結果である
小沢氏は負けたということだ

今回の戦いは小沢氏の戦術がもはや有効ではなくなっていることを露呈した戦いであった
マスコミ総動員(一部、日刊ゲンダイ・週間朝日を除く)の一大洗脳作戦の前には、もはや各個撃破戦術は効をなさないということなのだろう
そしてまだまだ地上波をメインとした5大ネットワークは強大な力を持ってい、一部活字メディアやインターネットは、その力にはまだ及ばなかったということである

だが、マスコミを総動員しての洗脳戦術も、今後はインターネットが(スマートフォンなどの普及で)人口に膾炙するに従い有効ではなくなる時代がもうすぐそこに来ていることに、権力サイドはとっくに気がついているに違いない
隣国中国はいち早く検閲強化や自由なネット活動の妨害・摘発・逮捕・殺人を行っている。
日本もいずれそうなるだろう

今の状況は一見、昭和初期の戦争突入期における大政翼賛会的なものと同じであるように見える
だが、情報の受け手は21世紀の日本に住む新人種、かつての日本人とは違う精神を持つものたちである。戦後アメリカ指導による洗脳教育を受けたネット右翼と称される左翼的人種なのだ
彼等は古典を学ばない。(古代からの東洋的)権威を認めない。

学生病という言葉がある
大学に合格した学生たちが「我こそは世界でもっとも優秀な選ばれし新人類である」という妄想を持つ病気である。
大学の優劣は問わない
「合格した」という事実が、彼等をそのようなパラノイアへと変貌させるのだ

今の大衆は多かれ少なかれ、その病気からいまだに回復していない患者に見える
つまり「大人」を受け持つための(精神)OSへの書き換えが未完全なものたちが異常に多く存在するように感じるのだ

「大人」という職業は漫然と得られるものではない
それなりの修養が必要不可欠である
その中には情報を自ら得てこそ自らのものにでき得るという運動原理も含まれる
与えられた(リークされた)情報には、必ずそれをもたらした者を利するもの(ブービートラップ)が仕掛けられている
ゆえに、特にニュースについては、先ず疑うところからはじめなければならない
このニュースを流布させることは誰を利することになるかをだ

そういう意味で古典は別物であることは容易に想像できるだろう
年月と幾多の人々のふるい分けを生き抜いてきたものだけが「古典」と名乗ることを許されてきた経緯があるからだ
ただ古いだけではない。誰もが一度は耳にしたことのある存在、それが「古典」である
それら「古典」の中には必ず人類にとって有益な情報が存在する
「真理」と読んでも「正義」と読んでも自由だが、有益であるからこそ生き延びてこれたのだ
もちろん為政者にとって「古典」ほどやっかいなものはない
ハッキリ言って「知られたくない」情報が満載だからだ
為政者=権力者にとって望むべき大衆の姿とは、富を簒奪・搾取されているにもかかわらず、それを知らずにいくらでも貢いでくれる存在であるからだ
そのような存在に「真理」など必要ない、と考えているからだ

しかし、まったく「古典」のない世界ではアメリカのスラム街のように無法地帯化してしまう
その現象は権力者たちへも生命の危機をもたらす
暴動や革命などが己に起こってもらっては困るのだ
だからこそ数%の「真実」や「正義」を小出しにしながら、どのように誘導すればよいかを考える
その施策を考えるには、優秀な頭脳と臆病なほどの用心深さと卑怯で卑劣な精神が必要だ
それらの条件を満たす存在が「官僚組織」である
これは古代から変わらない「真理」である

本来そのような権力者を監視・告発するのがジャーナリズムの役割であるが、今の5大ネットワークは既にその役割を放棄しているようだ

2010年9月11日土曜日

三権分立はもはや形骸化した

村木氏の無罪判決の意味するものとはなにか?

マスコミが報道しているということは、現在我が国を支配しているある組織にとっては望むべき運動であるということだ。
その真意が確かめられるのは、さらにあと10年かかるかも知れない。

だが、今回の一連の動き…小沢氏のみをあげつらうことで煙幕を張る「政治とカネ」報道、小沢氏の国政をサポートする人間たちの芋づる式逮捕・判決(冤罪)、村木氏の無罪判決、押尾学殺人犯の執拗な報道…これらは全て無関係ではない。

判ったことは、もはやこの国の「三権分立システムが崩壊している」という事実である。
三権分立は各々が他者をチェックし合うことで、互いに拮抗した権力を持ち、その権力を侵されないという理論である。
しかるに現在、互いにチェックし不正を暴き権力の暴走を抑えるどころか、お互いに手を結び己等が作り上げた不正な集金システムを隠蔽し永続させるためのカルテルを結び、国民の目から隠すために報道や警察力を使ってジャーナリストを封殺している。

三権とは三つの権力(行政・司法・立法)のことだが、それらを束ねる上位に存在しているのが、巨大な官僚機構=官僚幕府の存在である。

総理大臣よりも天皇陛下よりも、実質この日本国を支配しているのは彼等、官僚マフィアたちである。

現在行われている権力闘争は、これら官僚マフィアが張り巡らしたシノギのシステムを、政治家の手にしようという運動である。
国民にとってどちらがマシか…もちろん選挙によって選択権が与えられている以上、死んでも利権にじゃぶじゃぶな官僚マフィアより、選挙ごとに首を挿げ替えることが出来る政治家のほうがよほどマシである。