2010年9月20日月曜日

勝ち馬に乗るには?

どんなに清廉で博識でりっぱな人格者であっても、カネを持たない男は「うんこ」以下である…という考えかたがある。言わずと知れた商人の理屈である。逆を言えばどんなに卑怯で卑劣であれ、カネさえあれば『りっぱな人』なのだ。

物理的兵器(剣・銃・ミサイルなど)での争いのない世界では、兵士(武士など)は不要となり、商人の時代となる。(文人・知識人は『負け組』なので『商人の世界』では人間以下=「うんこ」にカウントされる)
その商人の武器といえば、カネと情報操作である。
廉恥心や遠慮、情け心や人のために良かれと思う行動を選択することは、商人の時代にあっては「負け組」となることを意味する。

商人の理屈では「清貧」は「悪」であり、自らに害を及ぼさないいかなる手段も「正義」となる。

そこで今の時代「勝ち組」になるにはどうしたらいいか?
商才(他人を犠牲にしてのし上がる根性)がないものは、勝ち組に乗るのが一番である。

『驥尾に付す』(きびにふす)という言葉がある。
驥(き)とは麒麟(きりん)という幻獣の雄を意味する(麟は牝)。その麒麟の尾に付いてウマイ汁を吸うダニのことである。
つまり商才を持った人間にゴマをすり、くっついている(麒麟のしっぽにしがみついている)だけで、黙っていても勝ち組の仲間入りが出来るという意味だ。

では、現在の『勝ち組』は誰か?
もちろん、官僚とマスコミである。
官僚は『税金』というカネを自由に操れる存在であり、マスコミは『情報』をいくらでも自由に操作出来る存在であるからだ。
彼等『官僚とマスコミ』は国家がどうなろうと民衆がどうなろうと知った事ではない。
自分だけが幸せでありさえすれば、あとはどうでもいいのだ。

ならば話しは簡単である。
官僚になるかマスコミ人になればよい。
だが、それには幾許かの努力と運がいる。
それが出来ない、持てない一般人はどうすればよいか?
そこで『驥尾に付す』のである。
官僚やマスコミに逆らわず、奴らの前でペコペコ頭を下げるだけでよいのだ。
もっとも簡単なのは『お笑い芸人』になることだろう。
これなら勉強も努力もいらない。
ひたすらゴマをすり、頭をさげていればよいのだ。どちらもタダである。これほど元手いらずで楽なことはない。
あとは失言して嫌われないように、奴らのコンプレックスを刺激しないように気をつけていればよい。
スタートは知己を得るための『運』も少しは必要だが、一度つかんだら失敗さえしなければ、あとは一生安楽な生活が待っている。
食べ物だの便利な発明だのは『負け組』の連中が勝手に作ってくれるから大丈夫。
つらいことや頭を使うことは彼等に任せて、自分たちは享楽的に面白おかしく暮らせばよい。
『「生きる」とは「人生を楽しむ」ことである』

だから『勝ち組』になりたい皆さんは、周りをよく見回して『麒(麟)』な人を探すことだ。
気をつけなければいけないのは、本物の『麒麟』は幻獣と同じく滅多に存在しないということである。

2010年9月15日水曜日

今回の民主党代表戦はマスコミの勝利

民主党代表者投票は官(僚)総理で決定した

結果は結果である
小沢氏は負けたということだ

今回の戦いは小沢氏の戦術がもはや有効ではなくなっていることを露呈した戦いであった
マスコミ総動員(一部、日刊ゲンダイ・週間朝日を除く)の一大洗脳作戦の前には、もはや各個撃破戦術は効をなさないということなのだろう
そしてまだまだ地上波をメインとした5大ネットワークは強大な力を持ってい、一部活字メディアやインターネットは、その力にはまだ及ばなかったということである

だが、マスコミを総動員しての洗脳戦術も、今後はインターネットが(スマートフォンなどの普及で)人口に膾炙するに従い有効ではなくなる時代がもうすぐそこに来ていることに、権力サイドはとっくに気がついているに違いない
隣国中国はいち早く検閲強化や自由なネット活動の妨害・摘発・逮捕・殺人を行っている。
日本もいずれそうなるだろう

今の状況は一見、昭和初期の戦争突入期における大政翼賛会的なものと同じであるように見える
だが、情報の受け手は21世紀の日本に住む新人種、かつての日本人とは違う精神を持つものたちである。戦後アメリカ指導による洗脳教育を受けたネット右翼と称される左翼的人種なのだ
彼等は古典を学ばない。(古代からの東洋的)権威を認めない。

学生病という言葉がある
大学に合格した学生たちが「我こそは世界でもっとも優秀な選ばれし新人類である」という妄想を持つ病気である。
大学の優劣は問わない
「合格した」という事実が、彼等をそのようなパラノイアへと変貌させるのだ

今の大衆は多かれ少なかれ、その病気からいまだに回復していない患者に見える
つまり「大人」を受け持つための(精神)OSへの書き換えが未完全なものたちが異常に多く存在するように感じるのだ

「大人」という職業は漫然と得られるものではない
それなりの修養が必要不可欠である
その中には情報を自ら得てこそ自らのものにでき得るという運動原理も含まれる
与えられた(リークされた)情報には、必ずそれをもたらした者を利するもの(ブービートラップ)が仕掛けられている
ゆえに、特にニュースについては、先ず疑うところからはじめなければならない
このニュースを流布させることは誰を利することになるかをだ

そういう意味で古典は別物であることは容易に想像できるだろう
年月と幾多の人々のふるい分けを生き抜いてきたものだけが「古典」と名乗ることを許されてきた経緯があるからだ
ただ古いだけではない。誰もが一度は耳にしたことのある存在、それが「古典」である
それら「古典」の中には必ず人類にとって有益な情報が存在する
「真理」と読んでも「正義」と読んでも自由だが、有益であるからこそ生き延びてこれたのだ
もちろん為政者にとって「古典」ほどやっかいなものはない
ハッキリ言って「知られたくない」情報が満載だからだ
為政者=権力者にとって望むべき大衆の姿とは、富を簒奪・搾取されているにもかかわらず、それを知らずにいくらでも貢いでくれる存在であるからだ
そのような存在に「真理」など必要ない、と考えているからだ

しかし、まったく「古典」のない世界ではアメリカのスラム街のように無法地帯化してしまう
その現象は権力者たちへも生命の危機をもたらす
暴動や革命などが己に起こってもらっては困るのだ
だからこそ数%の「真実」や「正義」を小出しにしながら、どのように誘導すればよいかを考える
その施策を考えるには、優秀な頭脳と臆病なほどの用心深さと卑怯で卑劣な精神が必要だ
それらの条件を満たす存在が「官僚組織」である
これは古代から変わらない「真理」である

本来そのような権力者を監視・告発するのがジャーナリズムの役割であるが、今の5大ネットワークは既にその役割を放棄しているようだ

2010年9月11日土曜日

三権分立はもはや形骸化した

村木氏の無罪判決の意味するものとはなにか?

マスコミが報道しているということは、現在我が国を支配しているある組織にとっては望むべき運動であるということだ。
その真意が確かめられるのは、さらにあと10年かかるかも知れない。

だが、今回の一連の動き…小沢氏のみをあげつらうことで煙幕を張る「政治とカネ」報道、小沢氏の国政をサポートする人間たちの芋づる式逮捕・判決(冤罪)、村木氏の無罪判決、押尾学殺人犯の執拗な報道…これらは全て無関係ではない。

判ったことは、もはやこの国の「三権分立システムが崩壊している」という事実である。
三権分立は各々が他者をチェックし合うことで、互いに拮抗した権力を持ち、その権力を侵されないという理論である。
しかるに現在、互いにチェックし不正を暴き権力の暴走を抑えるどころか、お互いに手を結び己等が作り上げた不正な集金システムを隠蔽し永続させるためのカルテルを結び、国民の目から隠すために報道や警察力を使ってジャーナリストを封殺している。

三権とは三つの権力(行政・司法・立法)のことだが、それらを束ねる上位に存在しているのが、巨大な官僚機構=官僚幕府の存在である。

総理大臣よりも天皇陛下よりも、実質この日本国を支配しているのは彼等、官僚マフィアたちである。

現在行われている権力闘争は、これら官僚マフィアが張り巡らしたシノギのシステムを、政治家の手にしようという運動である。
国民にとってどちらがマシか…もちろん選挙によって選択権が与えられている以上、死んでも利権にじゃぶじゃぶな官僚マフィアより、選挙ごとに首を挿げ替えることが出来る政治家のほうがよほどマシである。

2010年9月8日水曜日

今、この国が恐ろしい

民主党の政策に「国家主権の移譲」という、独立国家であることを放棄する一文がある以上、同党を指示することは出来ない。

だが、しかし、現在我が国が置かれてる状況を冷静に俯瞰してみると、理想論など屁のツッパリにもならないことがよくわかる。

そこで小沢一郎総理である。

こんな時にこそ、勝海舟のような人物が切実に必要なのだ。
小沢一郎が勝海舟に比肩しうるとまでは言わないが、小沢氏が掲げていることが、もし実現出来るとすれば、それはまさに幕府(の創り上げた集金システム)を壊し、新しいシステム=維新を構築することを意味する。
http://www.ozawa-ichiro.jp/elections/pdf/ozawa33seiken_ryakureki.pdf

今やこの国は戦争状態であることを、どれほどの国民が認識出来ているだろうか?
朝鮮半島は言うに及ばず、中国・アメリカ・ロシアなどから、国家主権を日本国民衆から奪うための戦いが、日夜繰り広げられている。

マスコミはまったく信用ならない。
ジャーナリズムは封殺され続けている。
今や司法も信用ならない。
警察力(検察含め)が権力側の守り手であることはいつの時代にも変わらない真実である。
しかるに、司法までが今や権力の守り手になってしまった。
もはや一般人である民衆には、守り手は誰もいないのだ。
己の身は己で守るアメリカのように。

「夜も安心して寝ていられるのは、誰かが守ってくれているからだ」と言ったのはショウペンハウエルだが、今や誰も守ってくれない時代に突入しようとしている。

幕末の「おかげ参り」のように、世間ではお笑い芸人が益体もないくだらない害毒を撒き散らすばかりで、本来「狂気」の持つ反骨=反権力の精神は失われ、AKB48などといった、マーケティングアイドルを使い捨て・猿回しする興行主=一部の旨い飴玉をしゃぶる悪魔に踊らされているばかりだ。

「無ければ作ればいい」とする東洋的知恵は失われ、「無ければ奪えばいい」とする新自由主義=グローバリズムという盗賊の論理がまかり通る時代。

グローバリズムの正体は『Pan-American』(汎アメリカ主義)、つまり「世界中をアメリカ的文化一色にしてしまおう」「アメリカ的思想以外は認めない」という、一種のファシズムである。
戦前教育を受けた人物がいた時代は、洋才和魂の考えで騙し騙し外交(戦争の一種)を行って抵抗を続けてこれた日本だが、経済指導者や政治家達が高齢化し、気骨ある日本人がどんどん居なくなりつつある今、今こそ好機と各国が日本で得られる利権(植民地化)を求めて交戦状態にある。

鈴木宗男氏は幾多の指摘のある通り、なるほどロシアンマフィアとのつながりもあっただろう。
しかし、かつて勝海舟が「を」組の大親分、辰五郎と親交があったことを見ても判るように、現実の政治を行うには必要な処置だったのかも知れない。
そのことで幾許かの利益を得るのは必要悪である。
人間である以上、霞を食って生きていけるものではない。欲望こそがバイタリティ=生命力そのものであり、それを失ってしまった人間は聖(ひじり)として隠棲するしかないだろう。
もちろん行き過ぎた欲望には反動として排斥運動が起きるのも当然である。
そのための「法」であり「社会(の仕組み)」である。

だが、現状の日本はどうか?
警察力も司法も報道も、全てが現権力者の走狗に成り果ててしまっている現在は?

この国がアメリカのようになることを、洗脳されたにせよ結果的に国民が選択したのであれば、それが「時代」というものなのだろう。
アメリカのようになる…それは「我が身を守るのは己だけ」という社会(の仕組み)である。
もはや「刀狩り」を行っていい時代ではないということだ。
民衆は個々に武器を携帯しなければ、己も家族も守れない、そういう時代・社会になるということだ。
これを見越してか、数年前から警察力はナイフ所持さえ禁止してきた経緯がある。

さあ、西部劇・時代劇の時代がやってきた。
これからはナイフ・剣・刀・拳銃などを、皆が持つ持たねばならない時代がやってくるのだ。

これから日本がどう変化していくのか…21世紀の戦争の仕方(マスコミによる洗脳戦)がどのような結果をもたらすのか。

5年後にこの文を読みなおす時が、無事訪れることを祈って筆をおく。



http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/09/post_25.html
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/30/news011.html
http://www.dpj.or.jp/news/?num=602