2009年9月29日火曜日

銀座の恋の物語

昼のロードショーで石原裕次郎の映画特集をやっていたので、何気なく見ていた。感心したのは画面のそこかしこから贅沢さがにじみ出ているところだ。昭和モダンなデザインは今見ても、いや今見るからこそかも知らないが実に良いのだ。建物の外観や内装、街行く人々のファッションや車、はては街灯や看板にまで気品というか優雅さがあるのだ。平成のチャラけたものばかり見ていた目にはまさに眼福であった。自分達の親の時代はこれほどまでに豊かだったのだ。比べればバブル期の軽佻浮薄な浮かれぶりがまるで馬鹿みたいだ。もちろん映画である以上見せたくないものは見せていないのだろうが、それにしても画面のそこここからにじむ豪華さはどうだ。おそらく物以上にこの時代に生きていた人たちの精神が豊かで気品があったのだろう。
真面目に一生懸命行動している人に出会うとハッとするほどその人に品を感じることがあるが、これらの映画を見ていてまさにそういった感情を抱かせられた。
もしかしなくても実は日本のピークは昭和30年代で、それ以降どんどん駄目になる一方だったのではないか…映画を見ているうちにそのような気がしてきた。

2009年9月26日土曜日

「極上めちゃモテ委員会」

ザッピングしていて酷いアニメをやっているのに驚いた。タイトルは「極上めちゃモテ委員会」という。キャラが酷いとかコンティニティーが成立してないとか声優が素人とかそんなことがどうでもよくなるくらいとにかく酷い。一言で言って「汚い画面」のアニメである。レイアウトがなっちゃないとかそういうレベルにも達していない。もはやアニメーションという表現手段はここまで変質してしまったのだということがよくわかる番組である。コマーシャルで流れる3Dの方は比較的見られるのに対して、アニメの方は画面からにじみ出るいい加減な投げやりオーラというか、何が楽しくてこんな作品に係わっているのか疑問を感じるほどスタッフ自らはおろか視聴者へさえも人としての尊厳を破壊している画面である。何が起こっているのだろう?昨今のドラマがまだメッセージ性を有して頑張っているのに比較して最近のアニメは年々質が劣化していくばかりである。たまに深夜で頑張っているように見受けるものもあるが、それらにしても画面のケレンばかりで本質的な質はあきらかに劣化している。これは作り手の劣化というよりも、内容のあるものを排除しようとする一連の陰謀めいた思想さえ感じられてしまう。昔のアニメによくあった巨悪への憤り(公憤)や権力への反骨精神といったものは、公共メディアに載せないよう圧力が目に見えてかけられ、そのようなフィルムを作る人間達を抹殺するための検閲と言論統制が計られ続けた結果なのだろうか。これはもはや儲けることが正義という資本論で語られるレベルを超えている。いや、それとも究極のそれに至ったということなのだろうか?もはや「真面目に生きる」という言葉は死語になってしまったのであろうか?そんなぞっとするような考えを持たされてしまうくらい恐ろしい番組であった。

そのあとTVをつけっぱなしにしていたのだが、直後放送されていた「しゅごきゃら」とかいうアニメはまっとうだったことを考えると、前述の「めちゃもて」のスタッフ、現場ではなく言論統制をしている機関=プロデューサー等が非人間的なのだろうと推測する。「しゅごきゃら」というアニメもはじめて見たが、こちらは普通の番組だった。続き物らしいが内容はステレオタイプなので理解できた。こういうものは年々再生産されてよいものだ。人は何と出会うかも大事だが出会う時期も同様に重要である。真理は名を変え形を変えこうして繰り返し繰り返し人口に膾炙し続けなければならない。それが作品としてのメディアの役割でもある。

2009年9月23日水曜日

ルサンチマンな国

朝礼暮改は政治の常。各局のニュース番組を見ていて思ったけど、TVマン達はこの国をどうしたいのだろう?自国の代表である総理大臣などへの皮肉めいた批判や揶揄を聞いていると、憂鬱にならざるを得ない。その批判が公憤から出ているのでないことは何も結論を出さず時には不真面目に茶化していることでも判る。マスコミという公共的機関がここまで自国の代表をこき下ろす国が世界のどこにあるのだろう。かつて中国で行われた文化大革命が成功していたらまさに今の日本のようになったのであろうか?偏差値教育が何を生んだかは必要であるはずの絶対的な知識を得ずして大学へ進学できるシステムを見ていれば容易に想像できる。そのようなモノが増えれば増えるほど、ますます知識を得ることよりも他人がそれを成すことを失敗させるような努力をより多くするようになるのだろう。まさに今の日本はルサンチマンの国である。だが、その影で誰にもルールを知らせることなく静かにいい思いをしているズルイやつらがいることに気が付いているのだろうか?自分さえ幸せならばよいという国民の%はどれくらいなのだろう。皆がそれでよいのなら時代の要望ということで受け入れざるを得ないのだろうか?その点だけはどうも自分はチェンジできないようだ。

2009年9月18日金曜日

TVを見ていると馬鹿になるなぁ~とTVを見ながら思った。

CMにしても使用法紹介から埒もないイメージまで幅広いが、嫌いなCMが出たら即ザッピングする。嫌いな…というのは極めて個人的に嫌いな人間が出ていたり、つくりに品がない、または悪意があるもののことだ。最近ではPS3のCMが実に気持ち悪い。画像演出はナニカのパクリなのだろうが、PSをやっている人間達が非人間的に表現されているため、まるでPS3をやっている奴らは人間ではありませんよ?と喧伝しているように見える。もっとも見たくないものは見なければいいだけなので、普段は気になる番組はHDに録画しておいて時間差で見るようにしている。こうしておくとCMは自動カットされるので精神衛生上とてもよいのだ。リアルに見ている時はしょうがないからザッピングで乗り切るか、または続きが気になる場合はその場で番組を録画して後から見るようにしている。それにしてもわざと集中力を殺ぐCMの入れ方が相変わらずで、そのつくりに嫌気が差し、結果や続きはどうでもよくなってしまう。畢竟TVで流されているものに対しては意欲や興味も持てなくなり、無関心になっていく。これが3S政策※というものかもしれない。

それにしてもバラエティはおろかニュース番組内でも24時間かならず誰かが何かを食べているのには失笑するばかりである。そんなに余禄で食いたいのかwよほどギャラがもらえてないのだろう。自ら稼いだ金で食う方がよっぽど気持ちいいだろうに。制作スタッフ(ほとんどが下請け)が飢えているだけなのかも知れないが、そんな企画を通す局Pもお里が知れる。コメントする人間も知られた芸人や仕出しの派遣アナならまだしも、見たこともない人間が下品極まりない食べ方をしているのを見るたび、どこの部長の娘※2かと、これまた失笑するばかりだww

まあTV自体がもはや終わったメディアなので見なければいいだけなのだが、それでもついつい見てしまうのは自分がTV好きだからなのだろう。


※シオン議定書の名で知られるナチス政権が作成したとされる大衆操作・洗脳方法に関する会議録の中で語られたもの。スポーツ・セックス・スクリーン(映像メディア)の頭文字を取って3つのS=3S政策と呼ばれる

※2縁故採用で成り立つTV業界ではスポンサーや代理店の妻子を番組で起用しロケに行かせるなど日常茶飯事である。そのため謎な起用がされた場合「きっと(○○の)部長の娘だろw」というのが合言葉になっている。別に本当に部長の娘というわけではなく、縁故コメンテーターの謂いである

2009年9月10日木曜日

なんだかなー

17時のニュースを見ていたらなんちゃらさつきという元小泉チルドレンとかが落選を振り返って口にした「人生50年。下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり…」という唄の一節を、あろうことか織田信長の辞世の句である…と紹介していた。テレビの馬鹿っぷりには呆れていたがニュースで嘘をつくというのは如何なものか。
くだんの唄はご存知「幸若舞」の謡いだしであるし、だいたい死体も発見されていない信長に辞世の句などあろうはずもない。深夜のバラエティならいざ知らず夕方のニュース番組でこりゃないだろう。そう思って局を確認したらテレ朝だった。チェックする仕組みはないのだろうか。それともチェックする人間そのものが何も知らないだけなのか…確認のためにはちょっとググればいいだけなのに…これもゆとりの成果なのか…

2009年9月8日火曜日

民主党はこの際奇麗事はやめて今の若者よろしく絶対謝らないでキレちゃっていいと思うな。308票も取ったんだから社民や国民新党の理不尽な要求は蹴って蹴って蹴りまくってOK。両党合わせて10票ってことは民衆は全くこれらの党には期待してないってことなのだから、わけのわからないことでキャスティングボードを握っているなんて錯覚を持たせちゃダメだ。国民新党は旧態然とした利権タカリ党だし社民はすでに終わっている党。多数決の数の力がどうとかそういう問題ではない。民意を反映出来ない輩と組んでもろくなことはないということだ。へたを打つと民衆に呆れられて民主党離れの大きなきっかけになるだろう。ましてこのアキレス腱を当然自民はザクザク狙ってくるに決まっている。かつての新進党の二の舞だけは避けて欲しいものだ。人数が大幅に減ったにも拘らず、国会議事堂内の部屋(控え室)を明け渡さないのは、すぐにでも政権を取り返せる策があるからだと思った方がよい。相手は百戦錬磨の狐狸妖怪の類なのだから、人間のルールで戦っても無駄。民主も早く開き直って重大な政策は強気で行くのが吉では。
まあ民主に期待しているのは自民と官僚が築き上げた税金を7割ピンハネしてる利権の集金システムをぶっ壊して欲しいってとこだから、民主マンせーってのもありえない。ぶっちゃけ個人的には児童ポルノ規制法など名前と裏腹な検閲の復活・表現や報道の自由を縛るものには抵抗していくつもりだよん。

朝青龍

朝青竜のドキュメンタリー風な番組を見た。いろいろ考えさせられた。なかでもバッシング騒動の頃を尋ねられて「人生では当たり前のこと」と語っていたのに感銘を受けた。そうか!名前を出して商売をするからには妬まれたり疎まれたり叩かれたり非情な攻撃を受けることは当たり前のことだったのか!信念を持って行動するということはそういうことなのだ。元来ツッパるということはこういうことなのである。昭和の漫画やTV番組などには確かにこの精神は生きていた。平成でも一部あるのかも知れないが、私にはどこか変容しているように思える。

つまり朝青龍は昭和のツッパリであったのだ。「いまさら気が付くなよ」と言われてしまいそうだがしょうがない。サッカー事件当時、皆がバッシングする中テリー伊藤など一部朝青竜に肯定的な意見を言う人たちがいた。当時は反感を覚えたものだが今になって考えるとなるほどテリーはすでに知っていたのだ。真のツッパリには群れで行動するための規範など意味がないのだと。また社会には朝青龍のようなヒーローも必要なのだということを。今こそ魁!男塾!の世界が求められているのかも知れない。

2009年9月7日月曜日

本日のカンブリア宮殿

ドモホルンリンクルって麻薬に似ている。劇的に効けば効くほど使用を止めた時の反動もさぞ大きいことだろう。そうなると死ぬまで止めることは出来ずに使い続けるというわけだ。CMではけして流さないが各製品1本1本は目の玉が飛び出るほど高額である(¥5万~)
それでも一度お試しセットで味を占めた客からは次々に注文が入る。きっと粗利に10000%乗せても売れるのだろう。関係ないがドモホルンリンクルの女社長が某893関係の女(女房であると言われている)というのは地元では周知の事実である。とはいえ資本主義という世界では当然アリだと思っているので私は再春館製薬所には特別になんの感情も無い。それどころか逆に古き良き日本のありようが垣間見えてうらやましくもある。日本にはこういうスタイルが合っていると思うな。
しかしぶっちゃけどうでもいい。別の世界の出来事のように感じているからだ。
しかしこの番組は心なしか元気を貰うな。

見ようによっては面白い

もしかしてテレ朝がやっていることって自民の味方のフリをして自民に墓穴を掘らせる作戦?TVタックルを見ていてそう感じるのは私だけではないだろう。自民や自民擁護のコメンテーターが足掻けば足掻いてみせるほど滑稽なほどに自民は墓穴を掘り続けているように見える。これがテレ朝が計算ずくでやっている褒め殺し作戦だとしたら実に見事だ。

それにしても自民はまだ従来通りの集金システムが維持可能と思っているのだろうか。あさはかにもほどがある。恐竜が滅んだ原因はいろいろ取りざたされるが、それが隕石であれ火山であれ、その他の気候変動であれ、結局は環境の変化についていけなかったということに尽きる。同じ変化の中で対応出来た生物が生き延びて今にあるという事実が如実にその正解を物語っている。なのにまだ自民は形振り構わず過去の栄光(システム)に拘り続けたいようだ。民衆は確かに流されやすいかも知れないが馬鹿ではない。

孫子の兵法にいわく戦いで重要なのは突出した武将の能力や兵の多寡よりも「勢い」であるという。その「勢い」をコントロール出来るのが優れた将であるそうだ。選挙でいう「風」というのがそういう「勢い」のことだとしたら、今回は民主の策に負けたということだ。素直にそのことに対する反省が無ければ100回戦っても勝ちは危ういだろう。

ところで山際ってジャーナリストはジャーナリズムの精神をどこかに置いてきた人?
もっと論理的に訴えないと、まるで飲み屋でどこかの親父の愚痴を聞かされているようで不愉快だ。まあサンケイだから右寄りなのは当たり前だが、感情論でがなり立てても民衆は誰も共感しないと思うけどなー。

最後のたけしのコメントが秀逸だったw
(TVタックルという番組が)「たんなるやじうま番組だったということがよくわかりました」
素晴らしい!やっぱりたけしはいいなぁww

世の中で尊敬されるべき職業は第一次産業だけであると思う

アニメの制作って農家に似てる。種だけまいてほっといても作物はとりあえず実る。だが手をかけなかった分だけ、不揃いだし充分に発育していなかったりきちんと商品になるものは極僅かとなり利益は望めないだろう。しかし共済保険制度があるので作物が出来なくても国が補填してくれるので生活には困らないのだ。
同じようにアニメ制作も人(種)を集めて打ち合わせ組んで(畑に撒いて)しまえば、あとは作物(原画・動画・仕上げ・撮影・編集・音響など)が勝手に実り(上げて)、市場に出せるものにするための草むしりから受粉作業、支柱を立てたり間引きしたりといった丹精は演出と作監がやってくれる。収穫(原画回収)したあとは海外に丸投げし、上がってきたものを撮影・編集に運び込めば綺麗に箱詰めやパッケージングをしてくれ音響がラベルを貼っておいしそうに装ってくれる。あとはそれを納品すればよい。つまりほっておいても勝手に作品は上がっていくのだ。だが、手を入れずに人任せにしておくと、日照(コミニュケーション)不足や肥料不足(必要な資料・材料の不支給)日照りや雨(嫌味・恫喝)の被害で商品価値はゼロ(鑑賞に堪えられない)の作品しか出来上がらないだろう。
それでも毎日会社に来てさえいれば(来ない制作もいるが)給料(救済保険)は毎月支払われるのだから、仕事なんかせずに制作仲間で深夜までアニメや声優の話をしていればいいと思っている奴らを時々見かける。だが、消費者はおいしくもない野菜や出来の悪い作物にお金は払ってくれない。そうなるとそのような制作しかいない会社は畢竟潰れていくだろう。必然である。
一方そこまでやるのかと思うくらい制作が甲斐甲斐しく世話をやいてくれる会社(畑)の作物はすくすくと育ち、出来のよさに世間の耳目が集まり人気のあるブランド野菜(作品)を出荷できる。自然そのような良質なものは少ないから市場原理で単価は上がり、努力が充分報われるだけの収入がいずれ得られるようになるだろう。
昔はそのようなちゃんとした小作人(制作)を育てるのに充分なシステムがあった。いまやそのシステムは崩壊し、伝統は断絶し誰も人を養育しようとはしなくなった。資本主義の帰結と言ってしまえばそれまでだが、なんだかさみしい。いまのアニメ会社はいいものをつくらせないように努力する。実際かつてある会社の社長に「客はドラマも内容も必要としていないんだ!綺麗な絵とかわいい(声の)声優がいればいいのだ!」と叱責された演出もいる。ずいぶんと客をなめた台詞だな、と当時は感じたが現状のアニメを見ていると、なるほどその通りになっているようだ。さすが社長!金儲けには先見の明があったということか。スポンサー受けがよいというだけの理由でドラマツルギーはおろかまともなコンティ二ティーさえ理解していない絵描き出身の演出が増えていたり(もちろん絵描き出身でもキチンとした人もいる)、演出の勉強など何もしていない業界歴3ヶ月の制作が演出をしていたりして、つまりはなんのことはない従来のまっとうな演出家はリテークが多かったり制作にとってはただの迷惑な小うるさい奴らであり不要というわけだ。交響楽でいえばハーモニー(調和)などいらないから演奏する人間さえいれば指揮者はいらない。といっているようなものだ。これでは面白い作品が生まれるわけがない。頑張っているのはそういう害毒にまだ汚染されていない地方(京都とか)のスタジオか昔から質に拘って人材育成に手を抜いていない一部のメジャーな会社くらいだ。そういうよい所は皆デジタル化以前から良質な作品を作ってきた限られた所ばかりである。ここでもう一度農業(アニメ制作)全体を根本から悔い改めないと、いずれ全て輸入物に頼ることになるだろう。アニメの殿堂とかもはやクリエイティブな作業を成し得ないロートルたちの思い出作り館などつくるくらいなら、人材育成機関でも設立してもらいたいものだ。

2009年9月4日金曜日

夕方のニュース

夕方のニュースを見ていて思った。やっぱり心安らかに見ていられるのはフジテレビだなぁ。日テレも朝日も毎日も自民贔屓が酷すぎて痛ましいほどに民主叩きにやっきになっている。それも根拠のない不安ばかりを煽るまるで新興宗教張りの陰謀論を展開している自家中毒患者のようだ。それはもう笑えるレベルではなく見ていて見苦しく不快になるレベルである。その点フジの報道はあくまで中立で自民にもエールを送るし、民主のすることは冷静に見ているようだ。まさに大人な態度で実に好感が持てる。やはり今回は政界に留まらず社会全体が大きく変わろうとするガラガラポンのきっかけになるのであろうか?答えは10年後のお楽しみである。

テレビは朝によく見ている

ほとんどの人々にとって、表向き日本テレビは右(翼)朝日は左(翼)フジは娯楽、毎日は日和見というのは周知の事実だが、今回の民主党政権下において、それぞれの裏の顔が垣間見えるようになってきた※1

日本テレビは従来通り、自民擁護の見苦しいほどの足掻きを垂れ流しているが、朝日に至ってはそのポリシーの無さが露呈するにもほどがあるといった様相だ。特に田原総一郎がひどい。今までも何かと批判するフリして自民を擁護してきたが、今回の選挙を受けての豹変ぶりは目に余る。だったら見なければいいだけなのだが、それでは臭いものにはフタをする的な情報不足に陥ってしまう。まあTVそのものがそういうものだと諦めてしまえばいいのだろうが、公共の電波を使っているというのにこのていたらくかと腹も立つ。みのもんたも同様だ。まあ、みのもんたの場合はまだ感情がストレートな分、お前も民衆を瞞着する類、ピンハネ・タカリ側だったのかと納得はしているが。だが確実に視聴する気は無くなった。見苦しいだけなのでもう朝ズバは見なくなるだろう。今更どんなに足掻いても選挙の結果は変わらないというのに。

今回の政権交代に関していえば何故かフジが上品さを増していてなかなかによい。特に報道関係が一番リベラルでジャーナリスティックなのには好感を持った(比較論)

他局のように緊急特番とかで大衆操作に感けることもせず、レギュラー番組も特に変わるわけでもなくたんたんとしたマイペースぶりが大人っぽくて素敵である。今まで馬鹿を増長・量産するだけかと思っていただけに、今回一番見直したTV局である。※2

しかし今までの既得権益を得るシステムにヒビが入りそうだというだけで、これほどビビルものなのか…失笑と同時に希望も湧く。我々大衆の力はなかなかにたいしたものだと。選挙権というのはなるほど偉大な力なのだなと感心した。

それにしても国際会議に閣僚が出席しないとは何事か!さぞや他国は日本の政治不在に呆れたことだろう。政権が取れなかったからと全てなげやりな態度の自民を各局とももっと叩けよ!と思うのは私だけではあるまい。

※1 NHKは旧来通り権力者サイドであり、テレビ東京については、この局がかつてGHQが日本人をアメリカナイズしようとして立ち上げた洗脳チャンネルだったという歴史もあることから(東京12チャンネル時代)これらについては触れないようにしている。特に東京12チャンネルはハンナバーバラやアメリカのホームドラマを多く放送することにより、パン食などの米風食事風景やリビングに前庭のある家を理想とするなど文化的工作を成した。ついでに毎日放送(旧 東京教育放送)もGHQに操作されていた時代があった。

※2 90年代にフジから読売へ中堅の大量移動(引き抜き)があった。その結果が今に現れているような気もする。日テレの悪ふざけぶりは、まさにバブル時代のそれ(会社の金でグルメや遊び=ロケとやりたいほうだい)と何等変わっていないように見える。

2009年9月3日木曜日

memo

「危なかったなぁ~今度の選挙」


「お前さんもかい、オレも選挙区では落ちたが比例に救われたよ」

「いやあ比例サマサマだよな~w」

「実際通っちまえば誰が比例かなんてわかりゃしねぇさw」

「そそ、オレなんか大学補欠入学だったが、入っちまえばK大生さ。誰が裏口で誰が補欠かなんてわかりゃしないさ」

「まったく。なんといっても受かるのと落ちるのじゃ天国と地獄。大学なら箔ばかりだが、選挙となると生業だ!せっかくこれまで築き上げた集金システムを手放してたまるものか!」

「それよそれ、しっかし地回りや商店会の頭を手なずけてたのも、今回ばかりは通じねぇかもしんねぇぜ」

「ああ、あいつら馬鹿騙すのが専門だからな。しかもコスずるいところからの叩き上げだ。こちらに利のないとわかればさっさと見限ってくるぜ」

「なぁに、そこで今までの持ちつ持たれつ、地盤がモノをいうのよ。M党の若造が何かやろうとすることを、徹底的に邪魔してやるのさ。そうすりゃ期待して当選させたのに、結局前の方がよかったってことにならぁな。愚民どもは頭使うこと知らねぇから目先のことしか考えねぇ。来月のことよりも今目の前にある食い物しか考えられねぇ奴らよ」

「違ぇねぇ。年寄は自分のことしか考えてねぇし、若い奴らは何かと理想をぶって現実ってものを知らないからな。思い知らせてやろうぜ、これからじっくりとな…ウヒヒッヒヒ」「ウエヘへへへへ」「アヒャハハハハハハ」

「ようしこれから例のとこ行ってさっそく相談ぶちかまそうぜ。」

「いいか、外では茫然自失、もうどうしたらいいか解らないってツラでいるんだぜ。増すゴミのやつらは馬鹿だから、それでコロッと騙されるぜ」

「だな、7割はそれでいける。他の2割は本からオイラたちの仲間、ピンハネを生業としてるから同じ狢だ。いわば同志」

「やっかいなのは残りの1割。金にも権力にも靡かない、欲得抜きでかかってくるやつらだ。こいつらだけは始末に負えねぇや」

「まぁまぁ。そんなやつらはいずれ子貢の仲間入り。早死にするのが関の山と相場は決まってら」「その通り」「ほぃじゃま、早く行くか」「若い女も確保してあるしな」「なんたって農林関係はムチムチしたのが多くていいわぃ」「闇住専の煙幕が効きましたなw」「ああ、裏の裏まで探られなくてよかったわぃ」「そういうこと、そういうこと」「うはははは、ささ行きましょう、行きましょう」

2009年9月2日水曜日

朝ズバを見た2

アメリカがいろいろとジャブをかましてきているのが面白い。
アメリカにとって「めんどくさい」「組しにくい」と思われるのはこの国にとってはよいことだ。
この国が独立国であることをやめてアメリカの州になるならバッドなのだろうが、いっきは日本が大好きなので、どの国とも適度な距離を保った独立独歩の国になって欲しいと思っている。アメリカの言うことに是々非々で答えられるようになったときにはじめて戦後が終わったと言えるだろう。現状占領地がある状態で何が独立だと言いたい。今の日本はフィリピンやグアムなどと立場はなんら変わらない。ゆるい占領化にあるようなものだ。韓国は同じように米軍の基地があっても、国軍を持ち皆兵制のおかげで国民の自国(=自らの生活)を守る意識も高い。日本などとは根本的に違うのだ。
 
※ちなみに、いっきは今の反日教育を推進するプロパな韓国は好きではありませんW

朝ズバを見た

みのは何を考えているのだ!国益というものをどう考えているのか!けじめとか個人的な心情とかどうでもいい!国際会議に権力を失った人間を送り出して、外国が相手をしてくれると本気で思っているとしたらとんだ甘ちゃんである!自民から金でも貰っているのか(恐らく目に見えない形で貰っているのだろうが…)
確かに既得権益に胡坐をかく旧来の地頭たちは戦々恐々だろう。これまでのように黙っていても民衆からおいしい汁を吸い上げる仕組みそのものにno!を叩きつけられたのが今回の選挙の結果だからだ。ジャーナリズムは本来そのような富の集中を防ぎ、再配分がまんべんなく行われるように戦うための武器であり機関であったはずだ、それが今では2世3世の世襲ばかりで、自民や財閥同様縁故採用のボンボン・お嬢さんだけになってしまった。これでは創造も問題提起もできないだろう。数限りない下請けを使い捨て続けながら、丸投げで上がってきたものをチェックなしで垂れ流し。そういうことだから某局のバンキシャみたいなみっともないことになるのだ。とにかくみのの最近の政局絡みの言動にはがっかりだ。公共の電波を使用してこんな個人的な惰弱な精神論しか吐けない人物の言動を流し続けるとしたら、早晩テレビ業界も自民党の二の舞かもね

2009年9月1日火曜日

押尾被告

人一人死んでいるのに保釈…いったい法ってなんなのだろう?
死人は守る必要がないから生きてる方が利益優先ということか?
「法は薄きに成すも、その弊なお貪る」とはよく言ったものだ。
基本的に私は「法三条」※の精神こそが正しいと思っているので、このように人死にが出ているケースでは必ず誰かがその罰を受けねばならないと信じている。
それが押尾であれ麻薬を売った売人であれ、必ず罰を受けねばならない。
しかるに、現在はニュースでさまざまな暗いニュースは流しても、その後人為的な件に関しては、誰がその咎を受けたのか、誰が得をしているのか、誰が害悪をもたらすのか、その後のフォローが余りに少なすぎるように感じる。
これでは真面目に生きている人々も嫌気が差すのも当然だ。
社会というものは皆がルール=法律を守るという契約で成り立っている世界だ。
だが、そのルールを守らないで好き勝手に振舞ってよいのなら、もはやそれは社会としての機能を失っていくだろう。
そのルールに則って上前を撥ねることが権力者になる金持ちになるということだ。
だからこそ、そのルールを守らせるために警察力はあるのだし。

例えばサッカーの試合でボールをハンドしようが、持ったままトライしようが、審判がなにも注意しないどころか、その得点を認めてしまうようなものだ。
それはもはやサッカーではない、サッカーのふりをしたナニカだ。
ニュースを見ているとなんだかこの日本もそんなナニカになってしまっているように感じる。
もしかして知らないうちに世の中のルールが変わってしまったのだろうか?
騙すより騙される方が悪いと考えるよその国のように。
もしかして日本って気が付かないうちに亡くなってしまった?
いつの間にかシネシネ団が目論んだ場所になっている?
だとすると、さぞやミスターKは喜んでいるだろうなぁ…

※「人を殺めたものは死刑」「人を傷つけたものは相応の刑に処する」「人のものを盗んだものには処罰を与える」以上3条をもって法律としたもの(これ以上法はつくらない)が「法三条」の精神である