2009年9月1日火曜日

押尾被告

人一人死んでいるのに保釈…いったい法ってなんなのだろう?
死人は守る必要がないから生きてる方が利益優先ということか?
「法は薄きに成すも、その弊なお貪る」とはよく言ったものだ。
基本的に私は「法三条」※の精神こそが正しいと思っているので、このように人死にが出ているケースでは必ず誰かがその罰を受けねばならないと信じている。
それが押尾であれ麻薬を売った売人であれ、必ず罰を受けねばならない。
しかるに、現在はニュースでさまざまな暗いニュースは流しても、その後人為的な件に関しては、誰がその咎を受けたのか、誰が得をしているのか、誰が害悪をもたらすのか、その後のフォローが余りに少なすぎるように感じる。
これでは真面目に生きている人々も嫌気が差すのも当然だ。
社会というものは皆がルール=法律を守るという契約で成り立っている世界だ。
だが、そのルールを守らないで好き勝手に振舞ってよいのなら、もはやそれは社会としての機能を失っていくだろう。
そのルールに則って上前を撥ねることが権力者になる金持ちになるということだ。
だからこそ、そのルールを守らせるために警察力はあるのだし。

例えばサッカーの試合でボールをハンドしようが、持ったままトライしようが、審判がなにも注意しないどころか、その得点を認めてしまうようなものだ。
それはもはやサッカーではない、サッカーのふりをしたナニカだ。
ニュースを見ているとなんだかこの日本もそんなナニカになってしまっているように感じる。
もしかして知らないうちに世の中のルールが変わってしまったのだろうか?
騙すより騙される方が悪いと考えるよその国のように。
もしかして日本って気が付かないうちに亡くなってしまった?
いつの間にかシネシネ団が目論んだ場所になっている?
だとすると、さぞやミスターKは喜んでいるだろうなぁ…

※「人を殺めたものは死刑」「人を傷つけたものは相応の刑に処する」「人のものを盗んだものには処罰を与える」以上3条をもって法律としたもの(これ以上法はつくらない)が「法三条」の精神である

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