2009年9月7日月曜日

世の中で尊敬されるべき職業は第一次産業だけであると思う

アニメの制作って農家に似てる。種だけまいてほっといても作物はとりあえず実る。だが手をかけなかった分だけ、不揃いだし充分に発育していなかったりきちんと商品になるものは極僅かとなり利益は望めないだろう。しかし共済保険制度があるので作物が出来なくても国が補填してくれるので生活には困らないのだ。
同じようにアニメ制作も人(種)を集めて打ち合わせ組んで(畑に撒いて)しまえば、あとは作物(原画・動画・仕上げ・撮影・編集・音響など)が勝手に実り(上げて)、市場に出せるものにするための草むしりから受粉作業、支柱を立てたり間引きしたりといった丹精は演出と作監がやってくれる。収穫(原画回収)したあとは海外に丸投げし、上がってきたものを撮影・編集に運び込めば綺麗に箱詰めやパッケージングをしてくれ音響がラベルを貼っておいしそうに装ってくれる。あとはそれを納品すればよい。つまりほっておいても勝手に作品は上がっていくのだ。だが、手を入れずに人任せにしておくと、日照(コミニュケーション)不足や肥料不足(必要な資料・材料の不支給)日照りや雨(嫌味・恫喝)の被害で商品価値はゼロ(鑑賞に堪えられない)の作品しか出来上がらないだろう。
それでも毎日会社に来てさえいれば(来ない制作もいるが)給料(救済保険)は毎月支払われるのだから、仕事なんかせずに制作仲間で深夜までアニメや声優の話をしていればいいと思っている奴らを時々見かける。だが、消費者はおいしくもない野菜や出来の悪い作物にお金は払ってくれない。そうなるとそのような制作しかいない会社は畢竟潰れていくだろう。必然である。
一方そこまでやるのかと思うくらい制作が甲斐甲斐しく世話をやいてくれる会社(畑)の作物はすくすくと育ち、出来のよさに世間の耳目が集まり人気のあるブランド野菜(作品)を出荷できる。自然そのような良質なものは少ないから市場原理で単価は上がり、努力が充分報われるだけの収入がいずれ得られるようになるだろう。
昔はそのようなちゃんとした小作人(制作)を育てるのに充分なシステムがあった。いまやそのシステムは崩壊し、伝統は断絶し誰も人を養育しようとはしなくなった。資本主義の帰結と言ってしまえばそれまでだが、なんだかさみしい。いまのアニメ会社はいいものをつくらせないように努力する。実際かつてある会社の社長に「客はドラマも内容も必要としていないんだ!綺麗な絵とかわいい(声の)声優がいればいいのだ!」と叱責された演出もいる。ずいぶんと客をなめた台詞だな、と当時は感じたが現状のアニメを見ていると、なるほどその通りになっているようだ。さすが社長!金儲けには先見の明があったということか。スポンサー受けがよいというだけの理由でドラマツルギーはおろかまともなコンティ二ティーさえ理解していない絵描き出身の演出が増えていたり(もちろん絵描き出身でもキチンとした人もいる)、演出の勉強など何もしていない業界歴3ヶ月の制作が演出をしていたりして、つまりはなんのことはない従来のまっとうな演出家はリテークが多かったり制作にとってはただの迷惑な小うるさい奴らであり不要というわけだ。交響楽でいえばハーモニー(調和)などいらないから演奏する人間さえいれば指揮者はいらない。といっているようなものだ。これでは面白い作品が生まれるわけがない。頑張っているのはそういう害毒にまだ汚染されていない地方(京都とか)のスタジオか昔から質に拘って人材育成に手を抜いていない一部のメジャーな会社くらいだ。そういうよい所は皆デジタル化以前から良質な作品を作ってきた限られた所ばかりである。ここでもう一度農業(アニメ制作)全体を根本から悔い改めないと、いずれ全て輸入物に頼ることになるだろう。アニメの殿堂とかもはやクリエイティブな作業を成し得ないロートルたちの思い出作り館などつくるくらいなら、人材育成機関でも設立してもらいたいものだ。

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