2009年8月31日月曜日

民主圧勝

結論から言うと、今回思ったのは選挙権で持っている自分の一票とは、とどのつまり自分の拳みたいなもんだ。
今までズルイことや悪いことをしている政治家に対して、TVや新聞に向かって「こんちくしょう!!」とつぶやくしかなかった自分が、選挙に行って一票を投じることで「相手を殴れる」ということがわかった。これは蟷螂の斧といえど、けして無駄にはならない斧なのだなと。
今まで民衆に対して「愚民どもめ」「凡愚どもめ」と睥睨していた権力者を、その権力の座から引き摺り下ろすことが出来た。これが選挙というもの、これが自分の一票の力ということに感心すると同時に、少なからず気が晴らすことができた。

そもそも政治家の権力って自分達一人一人が持っている弱い力を、まとめて一人の人間に仮託してるだけで、政治家個人が力を持っているものではない。
極論を言うと人に言うことを聞かせようと思ったら、「暴力」「金力」「カリスマ(※)」の3つに要約されると考えるが、個人が持っているものってそんなに凄いものじゃないじゃない。
しかし小さなそれぞれがまとまると、なにかに化けて大きな怪物になる。
この辺はマルクスの外在化の理論に詳しいだろう。
卑近な例だとアイドルやスポーツ選手などに寄せる国民の思いがスターを育む。そういうものだと思う。
つまり個人が持っているのはアンプリファイアとしての能力の違いであり、機械の性能の差(体力・知力・魅力)はあっても、あくまでも「表に出る」「自らの名前で勝負する」ということは、どれだけ大衆の想いを自らのものとして体現できるかという能力にかかっているということだ。そのためどんなに個人的能力が高かろうが、大衆と乖離しているものにはアンプとして機能するためのエネルギー(想い)が入ってこないことになる。世に言う「天狗になる」とは、この大衆から仮託された力を自らがもともと持っている力なのだと勘違いしてしまうことだ。
今回の選挙はまさにそのような「永遠に天狗でいられる」と思い込んでいたものたちへの強力なしっぺ返しである。

今回の選挙で「天狗」は作られるものであり天然ではありえないということを、選挙民皆が気が付いてくれたであろうことを願う。

※ 恐怖・欲望・魅力といいかえてもよい。ちなみにここでのカリスマとは知力やおしゃれ度なんかの暴力(恐怖心)と金(欲望)以外に憧れや志なども含めて人を惹きつけるもの(魅力)として使用してます