2010年1月22日金曜日

可視化法案

この法案は、可及的速やかに出来るだけ速く可決したほうが良いに決まっている。

一日遅れれば遅れるだけ、どこかで誰かが冤罪に苦しまないと限らないではないか。

それなのにニュースなどで「先延ばしするべきだ」などとのたまっているコメンテーターを見ると、一体何を考えているのか?と大いに疑問に感じる。

法案が可決すると困ることがあるのだろうか?

もちろん警察・検察といった力を行使する側が困るのはわかる。もっとも正々堂々誰にも羞じることなく取調べを行っていれば、なんら困ることはないと思うのだが。

もちろん悪に対抗するには悪で立ち向かわねばならないケースだってあるだろう。
そしてその必要悪を攻撃する勢力もあることは皆知っている。

だが、それが正しい行為、しかるべき行為であるならば、民衆は支持こそすれ反対するものなど1人もいないだろう。反対するのはそれで利益を得る圧力団体や、組織的暴力で生業を為すものたちだけであるからだ。

にも関わらず、可視化法案早期可決に反対するコメンテーターたち…

今、民衆は政治不信よりもマスコミ不信に陥っている。

それがマスコミが思ったよりも、大衆が小沢問題で盛り上がらない原因なのだ。

マスコミは小沢祭りや民主党叩き祭りに火を点けたいのだろうが、もう我々はマスコミのそういった手口にウンザリしている。

そんなことよりも目の前の生活を、明日食べるための米を求めているのだ。我々が欲するのはそういう情報なのだ。どこへいったら働けるのか?どこにいったら飢え死にしないですむのか?

だが、そういう不安をまったく持たないでよい安定したサラリー暮らしのくせに、したり顔で声高に政局を混乱させたがるアナウンサーやコメンテーターたち。

マスコミはこの疑問に答えられるのか?一体誰のためのマスコミなのか?誰の権利を守るためのジャーナリズムなのか?

今、民衆は冷静な視線をTVやマスコミに向けている。

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