2010年1月21日木曜日

馬鹿を見る

かつて中国の権力者が、己に味方するものを選別するために行った故事に由来する「馬鹿」という言葉がある。

皇帝の面前に居並ぶ高官たちの前に一頭の鹿を引き出し「陛下、献上された馬で御座います」と口上を述べた。当然皇帝は「これは鹿ではないか?」と聞き返す。そこで周りの高官たち一人一人に馬か鹿かと答えさせ、「馬」と答えたものは重用し、「鹿」と答えたものは左遷や暗殺を行ったという。

今回小沢氏の土地購入問題に関する一連のニュース報道や番組MC、コメンテーターの意見を聞いていて、漠然とこの故事を思い出したのは私1人ではないだろう。

小沢氏側が清廉潔白などとは民衆もとうてい思ってはいないだろう。清廉潔白であったばかりに推挙した弟子を若死にさせてしまった孔子の言葉を思い出すまでもなく、清廉潔白では政治家を続けていくことは不可能であろうことは容易に想像がつくからだ。

しかし、民衆が望んでいることは世の中の安定である。盗殺に頼らないでも生きていける社会の構築である。

多少の悪ではあっても、世の中の安寧のためには必要な悪もあるという事実はみな理解しているのだ。だが、一方ルサンチマンも持ち合わせている。そこを煽り誘導支配していく手段がメディア戦略である。

まさにその戦略がここまであからさまに使用されている現在のTVの現状をどう見ればよいのだろう。

バブル以降、ジャーナリズムの精神や中立性・反骨精神といわれるものがどんどん失われている現実。このまま進んだ結果、この国がどのように変容していくのか。

ふと視点を変えれば面白い時代に生まれてきたともいえるかもしれないw

まさに平安末期、江戸末期、そして大正末期のようでもある。

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