2010年4月17日土曜日

鳩山さん、首相は首相らしく

アイヌ・ネノアン・アイヌ(アイヌはアイヌらしく)

「アイヌ」と言うのはアイヌ語で「人」という意味であるそうだ。
つまり「人として恥ずかしくない生き方をせよ」という意味だろう。
その言葉には強烈な自省を促す教えがある。

しかし鳩山首相…(普天間問題は)「マスコミが騒ぎすぎ」(だから問題になった)というのは、国のリーダーとして恥ずかしい言だと何故気付かないのか?
もちろん本意は違うだろう「マスコミによる情報操作」を危惧しての言なのかも知れない。が、マスコミが真意を斟酌したり、真実を伝えるわけがないではないか。
逆に言葉尻を捕まえられて、恣意的操作に用いられるだけであることに、何故気付けなかったのか…

一度でも外在化すればそれはもう無かったことには出来ない。ゆえに仏教で言う末法思想のように、悪事は一度行われれば二度と無くならない、さらに上回る悪事が重なって行くのみである。そして世は悪が蔓延る末世へと進んで行く。
政治家の言も同じである。一度口にして世に出た言は、二度と取り消すことは出来ない。
だからこそ政治家とは「言を統治する者」でなければいけない。
これはギリシアのキケロの時代から何も代わることの無い真理である。

人は欲望・恐怖などで動く生物ではあるが、最も影響を受けるのはエモーションによってであると思う。その感情を動かすエネルギーは「感動」するということだと思う。
そして言の葉によって「感動」をコントロール出来得る人間こそが真に政治を司る者であろう。
人は獣と違い、肉体的恐怖以上に心の強さが生き様を決定する生物であるから、
その心をコントロール出来る人は当然人の尊敬に値する。
逆にそのコントロールが出来ない人間は軽蔑されるだろう。

然るに「マスコミ」が事実に即してないから…というのは我々庶民レベルで口にすることはあっても、一国のリーダーたるべき総理大臣が口にして良い言葉ではない。
元来「マスコミ」とは「野次馬」の謂いであり、そこに誠実を求めてはいけない。
うつろう存在こそが「マスコミ」という幽霊の正体であるからだ。

その「まぼろし」に向かって文句を言うのは自由だが、公人である自覚も忘れないで欲しい。

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