もちろん答えは自民党である。
まあ、もとから地上波はニュースを見ることがメインで、たまにバラエティや情報番組を見る程度なのだが。
それにつけても最近のニュースはアナウンサーやコメンテーターなどが、皆解説者気取りで誰に吹き込まれたのか、先をまったく見ていないかのような国民生活をないがしろにしたブルジョワジー的なことしかしゃべらないので、聞いていてイライラする。
考えてみれば、すでにTVに出ているという時点で彼らは特殊な存在である。高給を貰い将来も保証され、バブルが弾けようが信用取引(合法的詐欺)による金融不安を引き起こそうが、つまりは庶民ではない彼らにはなんら関係のない、勝ち組に属する一党であるということだ。
ならばブルジョワジー擁護・庶民生活からの乖離の発言を為すのは至極当然のことなのだろう。
しかし心ある人間ならば、裏でいくら王侯貴族のような贅沢な生活を謳歌していようが、表には微塵も表さないものだ。自分が金持ちであるとか、人より優れていることをひけらかす行為は品性下劣な証であるからである。一昔前の医者などは、どれだけ稼いでいようがあえて車はカローラを選んだものである。
それが今ではどうだ…まるで教育を受けていない成金アメリカ人かと見まごうほどの堕落ぶりである。
だいたいが「勝ち組」などという下品な言葉を使うようになったことからもわかるように、今の日本人(TVに映っているだけの限られたものたちだけではあるが…)は、あきらかに文化的に不自由なものたちである。
もっとも縁故採用ばかりで、ちゃんとした教育を受けていない連中が牛耳っているようなマスコミ番組に、品性や理性・論理的であることを望む方が間違っているのかもしれない…
もはや古きよき日本は失われてしまったということなのだろう。
「国体(’日本人’を形成するナショナルアイデンティティ)」の破滅である。
(戦争に負けるということはこういうことか…)
十・廿・世、アラビア数字で表記すると10・20・30であるが、つまり30年で代替わりするというのが「世」「世代」であり「世間」であるとする考え方である。
人は20歳で人に成り=成人=人間の仲間入りをし、社会の中で30年間活躍した後、50歳で一区切りをつける。下天(人間界のひとつ上方に存在する世界=仏教用語)にいう、たった一日(我々の世界では50年)のうちの社会活動に宛てられる運動期間がつまりは「世」ということだ。
これらは皆、昔の人の優れた感性によるいわば市井の哲学のようなもので、現代では通用し難いものなのだろう。
平均寿命は延び、働かなくても食べていける環境を生み出した現代文明社会においては、20歳で成人などにはなれない世の中になってしまっている。せいぜい30~40でやっと成人になれるかどうかという民度レベルであろう。
だが、30年を一区切りとする考え方は現代でも通用しそうだ。流行を観察して漠然とそう思うときがある。
2010年3月18日木曜日
2010年3月9日火曜日
ニュースが怖い
核持込みに関する密約報道で、当時の自民党を擁護し今の民主党を非難するかのようなニュースキャスターの口調を聞いていて、そら恐ろしくなった
今、TVはどこに向かおうとしているのだろう?
朝も昼も夕方も、相も変わらず民主党を必要以上に攻撃し続ける報道ばかりだ…
こんなものを毎日・毎晩見せ続けられれば、修養の出来ていないヒトは簡単に暗示にかかってしまうだろう。
もちろんそう洗脳するための、いわゆるシュプレヒ効果狙いなのだろう。
写真ひとつとっても民主党議員の紹介写真はマイナスイメージを持たせるものしか起用せず、発言は捏造に近いところまで編集され、過去の自民党独裁政権当時の負の遺産に関しては緘口令がしかれ、ひたすら民主党議員の揚げ足取りに終始する…
創作に自由がないのは身をもって感じていたが、ジャーナリズムももはや本当に幻想になってしまったのか…
うがった観方かもしれないが、現在のメディア業界(新聞・TVなど)のトップが半島系や宗教関係者になってしまっていることと何か関係があるのだろうか?
民主党政権を倒した後に何が来るというのだろう。
今の報道を見れば見るほど、とどのつまり「戦争」の二文字しか出てこないことにゾッとする。
この世でもっとも儲かる商売は何か?と聞かれれば、論理的な思考を持つ人間ならば100人が100人とも「戦争」と答えるだろう。
今の不況や社会の閉塞感を打破するのにもうってつけである。
民主党政権を倒して一番得をするのは誰だろう?
戦争は嫌だなぁ…
今、TVはどこに向かおうとしているのだろう?
朝も昼も夕方も、相も変わらず民主党を必要以上に攻撃し続ける報道ばかりだ…
こんなものを毎日・毎晩見せ続けられれば、修養の出来ていないヒトは簡単に暗示にかかってしまうだろう。
もちろんそう洗脳するための、いわゆるシュプレヒ効果狙いなのだろう。
写真ひとつとっても民主党議員の紹介写真はマイナスイメージを持たせるものしか起用せず、発言は捏造に近いところまで編集され、過去の自民党独裁政権当時の負の遺産に関しては緘口令がしかれ、ひたすら民主党議員の揚げ足取りに終始する…
創作に自由がないのは身をもって感じていたが、ジャーナリズムももはや本当に幻想になってしまったのか…
うがった観方かもしれないが、現在のメディア業界(新聞・TVなど)のトップが半島系や宗教関係者になってしまっていることと何か関係があるのだろうか?
民主党政権を倒した後に何が来るというのだろう。
今の報道を見れば見るほど、とどのつまり「戦争」の二文字しか出てこないことにゾッとする。
この世でもっとも儲かる商売は何か?と聞かれれば、論理的な思考を持つ人間ならば100人が100人とも「戦争」と答えるだろう。
今の不況や社会の閉塞感を打破するのにもうってつけである。
民主党政権を倒して一番得をするのは誰だろう?
戦争は嫌だなぁ…
2010年3月7日日曜日
高橋道場
この間TVを見ていたら、とあるコメンテーターが「つまらないヤツほど声がデカイ」と言っているのが聞こえてきて、お!いいこと言うな~と思った
なるほど、俺が嫌いな芸人というのは皆これにあてはまる。
アンタッチャブルの山崎やダウンタウンの腰ぎんちゃく山崎方正など、声がデカイだけで中身はまるで無い奴らばかりだ。
で、今日はテレビ東京の高橋道場というのをなにげなく見ていたのだが、きちんとリサイクル活動を行っている横浜の市制について、くわばたおはらのオハラの方が難癖をつけて非難していたが、とんだお門違いであることに本人は気付いているのだろうか?
いや、恐らく気付いてはいまい。それがルサンチマンであるということだ。
ヒトは自分にとって不利な状況であればあるほど不安を払拭するために怒りを覚える。
自己防衛本能である。蛇足だが忍術に言う五車の術のうち怒車の術がこれに当たる。相手の弱点を攻め、わざと相手を怒らせて冷静さを失わせて本音を吐露させる交渉術の1種である。
オハラに戻ろう。
自分達の住む大阪では恐らくリサイクルの思想さえないであろうことを考えたのか、そのことをあえて棚上げして横浜方式に悪口雑言言いたい放題である。
今の世の中は、優れたシステムやりっぱな行いを為している存在を馬鹿にする風潮にあるのは確かだが、廉恥心のある人間ならばそのような風潮を悲観こそすれ乗せられることはない。
だが、まんまとその風潮に乗り、それをそのまま吐露するオハラのような存在を起用している当番組担当者は番組意図を理解しているとは到底思えない。
つまりは世間的におためごかしで作成している番組であるという印象を与えるのだ。
せっかく番組自体は現代に警鐘を鳴らす意味で大切な問題提起をなし、高橋秀樹というきちんとした大人を配しているにもかかわらず、オハラの起用が全てを台無しにしているのだ。
その1点だけで番組担当者の本音が垣間見える。
つまり、エコや社会派を気取っても、結局はスポンサーから金が引き出しやすいからお題目として唱えているだけで、本当はそんなものに興味なんか無いという本音である。
オハラや小森純のような存在を見ていると、新約聖書に言うビーストやギデオンという言葉を思い出す。
ギデオン、数多きもの…なるほどああいったいわゆる正当なな教育(しつけ)を受けていない、人間以前の存在というものは、「人間」になれなかったものたちであり、実際そのようなものたちが思いのほか増えているという点でギデオンでありビーストであると感じる。
ここでいう「人間」とは「人の間=人間(じんかん)」に生きることを受け入れているものたち、つまり社会という組織を構成・維持する上でのルール=他人をおもんばかることの出来る を遵守するものたちという意味での「人間」である。
百姓(ひゃくせい)とはその名の通り、「百=多く」の「姓」を持つものたち、つまりは民=大衆という意味であるが、大衆がみなオハラのようなモノたちになるのであれば世の中お先真っ暗闇だ。
だが、いまやその危機は目前に迫っている。
今のTVを見ているとそのことがよく判る。
なるほど、俺が嫌いな芸人というのは皆これにあてはまる。
アンタッチャブルの山崎やダウンタウンの腰ぎんちゃく山崎方正など、声がデカイだけで中身はまるで無い奴らばかりだ。
で、今日はテレビ東京の高橋道場というのをなにげなく見ていたのだが、きちんとリサイクル活動を行っている横浜の市制について、くわばたおはらのオハラの方が難癖をつけて非難していたが、とんだお門違いであることに本人は気付いているのだろうか?
いや、恐らく気付いてはいまい。それがルサンチマンであるということだ。
ヒトは自分にとって不利な状況であればあるほど不安を払拭するために怒りを覚える。
自己防衛本能である。蛇足だが忍術に言う五車の術のうち怒車の術がこれに当たる。相手の弱点を攻め、わざと相手を怒らせて冷静さを失わせて本音を吐露させる交渉術の1種である。
オハラに戻ろう。
自分達の住む大阪では恐らくリサイクルの思想さえないであろうことを考えたのか、そのことをあえて棚上げして横浜方式に悪口雑言言いたい放題である。
今の世の中は、優れたシステムやりっぱな行いを為している存在を馬鹿にする風潮にあるのは確かだが、廉恥心のある人間ならばそのような風潮を悲観こそすれ乗せられることはない。
だが、まんまとその風潮に乗り、それをそのまま吐露するオハラのような存在を起用している当番組担当者は番組意図を理解しているとは到底思えない。
つまりは世間的におためごかしで作成している番組であるという印象を与えるのだ。
せっかく番組自体は現代に警鐘を鳴らす意味で大切な問題提起をなし、高橋秀樹というきちんとした大人を配しているにもかかわらず、オハラの起用が全てを台無しにしているのだ。
その1点だけで番組担当者の本音が垣間見える。
つまり、エコや社会派を気取っても、結局はスポンサーから金が引き出しやすいからお題目として唱えているだけで、本当はそんなものに興味なんか無いという本音である。
オハラや小森純のような存在を見ていると、新約聖書に言うビーストやギデオンという言葉を思い出す。
ギデオン、数多きもの…なるほどああいったいわゆる正当なな教育(しつけ)を受けていない、人間以前の存在というものは、「人間」になれなかったものたちであり、実際そのようなものたちが思いのほか増えているという点でギデオンでありビーストであると感じる。
ここでいう「人間」とは「人の間=人間(じんかん)」に生きることを受け入れているものたち、つまり社会という組織を構成・維持する上でのルール=他人をおもんばかることの出来る を遵守するものたちという意味での「人間」である。
百姓(ひゃくせい)とはその名の通り、「百=多く」の「姓」を持つものたち、つまりは民=大衆という意味であるが、大衆がみなオハラのようなモノたちになるのであれば世の中お先真っ暗闇だ。
だが、いまやその危機は目前に迫っている。
今のTVを見ているとそのことがよく判る。
2010年2月25日木曜日
東京都民はかわいそうだなぁ
東京オリンピック招致委員会は、今回大きな赤字負債を作り出したにも拘らず、今後も解散せずに活動を続けるそうだ。
今回の赤字の主因はご多分に漏れず大手広告代理店(電通あたり)による過出費なのだが、今後の活動資金はその広告代理店からの借金によるという。
つまりは大手広告会社がプロミスやアコムなどと同様の金融業務を行って、都から毎年莫大な利子という、旨い飴玉をしゃぶらせてもらうという構図なのだろう。
もちろんそれにぶらさがっている賊議員の存在も忘れてはならない。
有名無実のオリンピック招致委員会なるものをわざわざ存続させるからには、相当な圧力があるのだろう。これが一般企業であれば、そんな大赤字を出しながら事業=招致に失敗した部署など、即解散、担当役員は降格処分または解雇というのが当たり前である。
なのに存続の上、今後もぬくぬくとサラリー(税金)を貰いながら、なおも借金を増やすために消費者金融(大手代理店)から借金を重ね、その利子は税金でという仕組みらしい。
昨今の不況で広告料による収益が見込めない今、こうした新手の吸血方法を生み出した広告代理店の手腕は流石といわざるを得ない。
代理店は実質なにもしないで右から左へ受け流すだけで旨い汁が吸い放題というわけだw
スポンサー(出資者)⇒代理店⇒クリエイター(労働者) この流れでいくらでも飴玉しゃぶり放題だw
まあこの場合のスポンサーというのが東京都、その原資は都民の税金、つまりは東京都民がうまいこと生き血を吸われ続けているという構図なのだろう。
つくづく東京都民はかわいそうである。
今回の赤字の主因はご多分に漏れず大手広告代理店(電通あたり)による過出費なのだが、今後の活動資金はその広告代理店からの借金によるという。
つまりは大手広告会社がプロミスやアコムなどと同様の金融業務を行って、都から毎年莫大な利子という、旨い飴玉をしゃぶらせてもらうという構図なのだろう。
もちろんそれにぶらさがっている賊議員の存在も忘れてはならない。
有名無実のオリンピック招致委員会なるものをわざわざ存続させるからには、相当な圧力があるのだろう。これが一般企業であれば、そんな大赤字を出しながら事業=招致に失敗した部署など、即解散、担当役員は降格処分または解雇というのが当たり前である。
なのに存続の上、今後もぬくぬくとサラリー(税金)を貰いながら、なおも借金を増やすために消費者金融(大手代理店)から借金を重ね、その利子は税金でという仕組みらしい。
昨今の不況で広告料による収益が見込めない今、こうした新手の吸血方法を生み出した広告代理店の手腕は流石といわざるを得ない。
代理店は実質なにもしないで右から左へ受け流すだけで旨い汁が吸い放題というわけだw
スポンサー(出資者)⇒代理店⇒クリエイター(労働者) この流れでいくらでも飴玉しゃぶり放題だw
まあこの場合のスポンサーというのが東京都、その原資は都民の税金、つまりは東京都民がうまいこと生き血を吸われ続けているという構図なのだろう。
つくづく東京都民はかわいそうである。
2010年2月23日火曜日
「全面禁煙を求める」と長妻大臣発言
不況だデフレだと言うわりに、酔っ払いにもキビシク、外で煙草も吸うな!なんて言ってたら、誰も外で遊ぼうとは考えないだろう。家に篭ってじっとしてるのが一番ということになる。
篭っていればお金も使わないで済むし経済である。今のご時世にはぴったりだw
今回の発言に、個人業主はこぞって「大手による独占を助長させる個人経営潰しだ」といきまいているが、そんなことは今にはじまったことじゃない。
昨今の時流はあきらかに戦前の財閥復活を目論んでのことだから、個人でいくら騒いでもなんにもならない。農業の大規模・工場化や製造業等の資金による一元化など枚挙にいとまはないだろう。
だいたい本気で国民の健康を考えての全面禁煙なら、そもそもタバコの製造・販売そのものをやめてしまえばいいのだ。売るだけ売っといて吸うなというのは、いかにもおかしい。
つまりは吸ってもいいけど選挙の手前これくらいはぶちあげておこうということなのだろうか?
もし本当に路上でも建物内でも喫煙不可ならば、もう喫煙可能な場所は我々庶民の生活圏には存在しないということになる。それこそ広大な敷地を持つ権力者の私有地内や公海上といった日本を離れた場所だけになってしまうだろう。
自宅でだけ吸えばいい、と思っているのなら、それこそヒッキーになれということだ。これは憲法違反である。隔離され外出を禁じられた身のどこに基本的人権・文化的生活が保障されるというのか。
尤もこのままだと自宅喫煙についても外へタバコのにおいがもれ出ただけで訴訟騒ぎになりそうだw
想像すると、かつてのアメリカの禁酒法時代のようにスピークイージーのような地下喫煙所が出来たり、個人輸入によるタバコの密輸喫煙などが出てきたりすると、ちょっと楽しい。
また、どうせ禁止薬物なのなら、この際麻薬でも…という輩も出てくるのは間違いない。
どうも今回の件は選挙目当てにしても行きすぎだろう。
これ以上我々大衆に閉塞感を与えて、この先何がやりたいのか?大衆に働く意欲を与えて国力を上げるためには、大きな娯楽や拝金主義などよりも、喫煙などのようなささやかな自由が必要ではないのだろうか?そしてそれを寛容できる公共性もまた必要ではないのか?人はパンのみにて生くるに非ず、の思想である。
篭っていればお金も使わないで済むし経済である。今のご時世にはぴったりだw
今回の発言に、個人業主はこぞって「大手による独占を助長させる個人経営潰しだ」といきまいているが、そんなことは今にはじまったことじゃない。
昨今の時流はあきらかに戦前の財閥復活を目論んでのことだから、個人でいくら騒いでもなんにもならない。農業の大規模・工場化や製造業等の資金による一元化など枚挙にいとまはないだろう。
だいたい本気で国民の健康を考えての全面禁煙なら、そもそもタバコの製造・販売そのものをやめてしまえばいいのだ。売るだけ売っといて吸うなというのは、いかにもおかしい。
つまりは吸ってもいいけど選挙の手前これくらいはぶちあげておこうということなのだろうか?
もし本当に路上でも建物内でも喫煙不可ならば、もう喫煙可能な場所は我々庶民の生活圏には存在しないということになる。それこそ広大な敷地を持つ権力者の私有地内や公海上といった日本を離れた場所だけになってしまうだろう。
自宅でだけ吸えばいい、と思っているのなら、それこそヒッキーになれということだ。これは憲法違反である。隔離され外出を禁じられた身のどこに基本的人権・文化的生活が保障されるというのか。
尤もこのままだと自宅喫煙についても外へタバコのにおいがもれ出ただけで訴訟騒ぎになりそうだw
想像すると、かつてのアメリカの禁酒法時代のようにスピークイージーのような地下喫煙所が出来たり、個人輸入によるタバコの密輸喫煙などが出てきたりすると、ちょっと楽しい。
また、どうせ禁止薬物なのなら、この際麻薬でも…という輩も出てくるのは間違いない。
どうも今回の件は選挙目当てにしても行きすぎだろう。
これ以上我々大衆に閉塞感を与えて、この先何がやりたいのか?大衆に働く意欲を与えて国力を上げるためには、大きな娯楽や拝金主義などよりも、喫煙などのようなささやかな自由が必要ではないのだろうか?そしてそれを寛容できる公共性もまた必要ではないのか?人はパンのみにて生くるに非ず、の思想である。
2010年2月17日水曜日
口にものを入れたまましゃべるな!
最近のTVを見ていて、非常に見苦しい、思わず目をそむけてしまう瞬間がある。
それはリアルタイム番組では必ずある、余禄で食事をしている場面でのことなのだが、幇間やお笑い芸人ならまだしも、文化人気取りのコメンテーターや局アナまでが、食べてすぐ、まだ口の中に食べ物が入っている段階で口を開いて、口中のグロテスクな内容物を視聴者に見せてしまう瞬間である。
どんなにおしゃれをしていようと、どれだけ美人であろうと、百年の恋もいっぺんにさめてしまう瞬間である。
芸人ならばそのような下品さも下劣さも逆手に取り、皆に馬鹿にされ笑われることを、あえて提示することで銭を得る生業と為している社会的に下等な存在であるのだから、我慢は出来ないまでもまだしも納得は出来る。
それを女子アナまでが平気で行うのだ。
実に耐えられない。
思わず口中のゲロを見せ付けられているようで、こちらまで吐き気がする。
自分達が子供の頃は、口中にものを入れたままでけっしてしゃべってはならないと教育を受けたものである。ここでいう教育とは学校などでの知識教授のことではない。教育とは元来家庭で行われるものだからである。
さすがにそのような教育がきちんと出来ている年配の方や女優などは、口中のものを飲み下してから口を開いて感想を述べるが、中途半端なタレントやコメンテーターなど、躾けが不自由な人々は平気で口中のものを画面に映し出して見せる。これはもちろん現場のディレクターにも問題はあろうが、なによりこのような下品な画面を見せられて抗議をしない我々国民にも大いに問題はあるだろう。だが、そのような国民を生み出し続けているのが現在のTV番組であることをこそ、各局のTVマンたち(NHKを除く=さすがにNHKの職員はそのような下劣な行為は未だタブーとされているようで安心だ)は自覚しなければならない。目先の欲に駆られて民度を下げているという自覚をだ。
「鶏と卵どちらが先か」ではないが、TVの与える影響力というものを、もっと真剣に考えて欲しい。いかに家庭教育がきちんとしていようと、TVで与えられる情報に子供たち(精神的な存在も含む)は簡単に感化されてしまうのだ。ローリングストーンという言葉がある。イージーゴーイングという言葉もある。人は誰しも楽な方へ流れていくものである。それをくい止めるモノ、くい止める努力を為すことが文化であり、人が精神的にも高次の動物であることを証明する唯一の手段でもあるのだ。
それを放棄することは人間であることを止め、獣に戻ることを意味する。
それはリアルタイム番組では必ずある、余禄で食事をしている場面でのことなのだが、幇間やお笑い芸人ならまだしも、文化人気取りのコメンテーターや局アナまでが、食べてすぐ、まだ口の中に食べ物が入っている段階で口を開いて、口中のグロテスクな内容物を視聴者に見せてしまう瞬間である。
どんなにおしゃれをしていようと、どれだけ美人であろうと、百年の恋もいっぺんにさめてしまう瞬間である。
芸人ならばそのような下品さも下劣さも逆手に取り、皆に馬鹿にされ笑われることを、あえて提示することで銭を得る生業と為している社会的に下等な存在であるのだから、我慢は出来ないまでもまだしも納得は出来る。
それを女子アナまでが平気で行うのだ。
実に耐えられない。
思わず口中のゲロを見せ付けられているようで、こちらまで吐き気がする。
自分達が子供の頃は、口中にものを入れたままでけっしてしゃべってはならないと教育を受けたものである。ここでいう教育とは学校などでの知識教授のことではない。教育とは元来家庭で行われるものだからである。
さすがにそのような教育がきちんと出来ている年配の方や女優などは、口中のものを飲み下してから口を開いて感想を述べるが、中途半端なタレントやコメンテーターなど、躾けが不自由な人々は平気で口中のものを画面に映し出して見せる。これはもちろん現場のディレクターにも問題はあろうが、なによりこのような下品な画面を見せられて抗議をしない我々国民にも大いに問題はあるだろう。だが、そのような国民を生み出し続けているのが現在のTV番組であることをこそ、各局のTVマンたち(NHKを除く=さすがにNHKの職員はそのような下劣な行為は未だタブーとされているようで安心だ)は自覚しなければならない。目先の欲に駆られて民度を下げているという自覚をだ。
「鶏と卵どちらが先か」ではないが、TVの与える影響力というものを、もっと真剣に考えて欲しい。いかに家庭教育がきちんとしていようと、TVで与えられる情報に子供たち(精神的な存在も含む)は簡単に感化されてしまうのだ。ローリングストーンという言葉がある。イージーゴーイングという言葉もある。人は誰しも楽な方へ流れていくものである。それをくい止めるモノ、くい止める努力を為すことが文化であり、人が精神的にも高次の動物であることを証明する唯一の手段でもあるのだ。
それを放棄することは人間であることを止め、獣に戻ることを意味する。
2010年2月10日水曜日
「心にのこる日本の歌」
似非(エセ)が増えたな~
と単純に思う。学者にしろ弁護士にしろ最近のバラエティに出ている人間たちは、本当に肩書き通りの人間なのか非常に疑問に思えてしまう。ニュースにしてもそうだ。およそ文化人(死語)とは思えない自称ジャーナリスト、自称アナリストといったコメンテーターが多すぎる。
彼らには、まず肩書きに見合ったイーソス=品格というものが感じられない。代表者として山崎方正と顔も性格も同じようなくだらなさの弁護士とか…底が浅すぎてカメラに写っている時と写っていない時のギャップが激しい状態が容易に想像出来てしまう品性下劣な人物が多すぎる。
特に心理カウンセラーを名乗る輩など、資格不要の職業なので誰でも名乗ることができるから、自称詐称の有象無象ばかりに見えて仕方がない。今TVに出ている人間で信用できるのは、クオリア研究などで一部に有名な脳科学者の茂木さんくらいであろう。
考えて見れば品性があればTVなどは出演を見合わせる感覚を持っているはずだから、まあ、元からコメンテーターなどを引き受ける人間など信用する必要はないのかも知れない。
それにつけても今のTVは、開き直って「俺(私)は下品だよw」と己の下劣さを自慢するような人間を、ことさら強調し、巷間に下劣な人間達を増やす努力を続けているように見えて仕方がない。下品さのインフレーションとでも言えばいいのだろうか。もっと下品にさらに下品にという一種のダウンスパイラルに陥っているようだ。特に小森純なるモデル?の存在はその焦眉であろう。
そんな番組や芸人・コメンテーターたちを見て育った子供たちに、我々は老後の面倒を見て貰わねばならないのかと思うと、もはや不安などでなく、絶望に近い諦めしか持てない。
きっとそんな子供たちは「時計仕掛けのオレンジ」のように。
別の例としては元全学連活動家(かつてガチャ目だったのは機動隊員の暴行による障害)のアジテーターリーダー・テリー伊藤などのようにアナーキズムを標榜する輩は、世の中を混沌となすために、わざと文化の質や権威を落とさしめ、さらに過激にさらに下品な世の中にするべく工作を行っている場合もあるが、これはテリー氏の思想の元に行われている運動なので、共感は出来ないが一定の理解は出来る。昨今転向した気配も見受けられるようだが、氏の本質は死んでも変わることはないだろう。
そういえば昔、心に残る日本の歌という番組を見ていて、漠然と「今は似非ばっかりだな…」と思ったことを思い出した。
80年代という特殊な時代はバブルやイデオロギー主義の消滅など、構造的に何かが大きく変化した時代であった。そのことが「本物」を追い出し「似非」の隆盛を招いた一因であることは間違いないだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」けだし真理であろう。
キャンディーズらピンでは下手すぎてボロが出るのでグループで…という連中が出てきた時に感じた危機感が、現実になったのが80年代と言い換えてもよいかもしれない。
70年代フォーク世代の挫折と自暴自棄とも思える、投げやりな金・権力への擦寄りが生みだした様式が確立した80年代という時代…その萌芽は70年代に出てきた天地真理・浅田美代子や、田原俊彦らジャニーズの登場に象徴を見ることができよう。
いわゆる本物よりも華美な似非を好む文化の台頭である。
昔、聖徳太子の存在を否定した津田左右吉という歴史学者がいた。彼の説を大雑把に要約すれば、歴史上厩戸王子と呼ばれた人間は、居たのかも知れないが、十八条憲法制定などの偉業を成した、国民誰もが知っている聖徳太子というような人物は存在しない。彼は当時の権力者たちによって造られた、架空の人物像であるということになるだろうか。国家で成した業績を、まとめて1人の人物に集約することで、聖徳太子というヒーローを作り出す必要があった人々による、想像上の人物像であろうという説である。考え方としては、現代社会でも事業の成功や大学の研究成果などが、1人のリーダー・学者の功績のように扱われていることを卑近な例として挙げられるかもしれない。
だが、そのような通俗な価値観で計ること自体が問題ではないのか?
大事なのは「聖徳太子」を生み出した精神なのである。
聖徳太子のような存在は、ひとつの理念なのである。道標といいかえてもいい。コロンブスの卵の例を持ち出すまでもなく、それなくしては成り得なかった、目には見えず形も残らない、だが確実に将来へ影響を残すであろう「思考=考え方」そのものが重要なのである。
ゆえに津田氏の説に触れた時、私には理解も容認も出来なかった。もちろん津田氏の生きた時代性ということもあろう。当時軍部が富国強兵を進める上で、聖徳太子や二宮金次郎などを広告塔に使用したことに対するアンチテーゼという背景もあったのだろう。だが、それでもなお聖徳太子を否定したことは、偉人伝にケチを付けて地位を引き摺り下ろそうとする、氏のルサンチマンの発露に思えて仕方がないのだ。
もちろん、氏の功績は記紀の研究方法の手法や検証方法が、現代の歴史学の検証方法などに受け継がれていることを見てもわかる通り、りっぱであったのだろう。だが私は津田氏の書物もウルトラマンが科学的に実在出来ないとする冗談科学論も、「猪口才」という点で同じもののように思えて仕方がないのである。
偉人伝は必要である。
勝海舟も回顧録の中で、思春期・青年期に異性が気になり我慢出来難い時には、スポーツで健康的な汗をかき、偉人伝を読むことで青雲の志を奮い起こした、というエピソードを語っている。
人間が健全な社会という契約世界を維持し続けられるかどうかの鍵を、見事に物語っている名エピソードである。品格というものはまさにこのような精神から生まれて来るものであるのだろう。
偉人の業績を素直に受け止めるられるか否かは、「本物」を認められるかどうか、その人間の精神の在り様に依存しているからだ。
「本物」を認めるには肉体とともに精神が健全であり心が強健であるという条件を満たさねばならない。そうでなければ、己の中のルサンチマンを抑えることが出来ないからだ。そういった修養が出来てない惰弱な精神では、「本物」の持つ迫力に耐えられないのだ。ちょうど訓練を積まずにいきなりプロスポーツが不可能であることと同じだ。肉体同様、心も鍛えぬかなければ本物の持つ重みを受け止め支えることは出来ない。へたに手を出せば、その心はポッキリ折れてしまうだろう。だから昔から「本物(の運動の場)」には近づくな!近づくにはそれなりの準備が必要である!という教えなり教育なりが行われていたのだ。
「健全な精神よ、健全な肉体に宿れかし」
それをなおざりにし、自由と我儘を同義語と勘違いした世代の台頭によって、やがて日本の文化は崩壊してゆくのだが。その発端が80年代に垣間見えたのが「心にのこる日本の歌」という番組によってであったのだ。
番組に登場する本物の歌手たちの朗々と歌い上げる姿を見るにつけて、「正しい精神の鍛え方」という伝承が断絶した=終わったのが、まさに80年代であったのだなあ、と考えた次第である。
と単純に思う。学者にしろ弁護士にしろ最近のバラエティに出ている人間たちは、本当に肩書き通りの人間なのか非常に疑問に思えてしまう。ニュースにしてもそうだ。およそ文化人(死語)とは思えない自称ジャーナリスト、自称アナリストといったコメンテーターが多すぎる。
彼らには、まず肩書きに見合ったイーソス=品格というものが感じられない。代表者として山崎方正と顔も性格も同じようなくだらなさの弁護士とか…底が浅すぎてカメラに写っている時と写っていない時のギャップが激しい状態が容易に想像出来てしまう品性下劣な人物が多すぎる。
特に心理カウンセラーを名乗る輩など、資格不要の職業なので誰でも名乗ることができるから、自称詐称の有象無象ばかりに見えて仕方がない。今TVに出ている人間で信用できるのは、クオリア研究などで一部に有名な脳科学者の茂木さんくらいであろう。
考えて見れば品性があればTVなどは出演を見合わせる感覚を持っているはずだから、まあ、元からコメンテーターなどを引き受ける人間など信用する必要はないのかも知れない。
それにつけても今のTVは、開き直って「俺(私)は下品だよw」と己の下劣さを自慢するような人間を、ことさら強調し、巷間に下劣な人間達を増やす努力を続けているように見えて仕方がない。下品さのインフレーションとでも言えばいいのだろうか。もっと下品にさらに下品にという一種のダウンスパイラルに陥っているようだ。特に小森純なるモデル?の存在はその焦眉であろう。
そんな番組や芸人・コメンテーターたちを見て育った子供たちに、我々は老後の面倒を見て貰わねばならないのかと思うと、もはや不安などでなく、絶望に近い諦めしか持てない。
きっとそんな子供たちは「時計仕掛けのオレンジ」のように。
別の例としては元全学連活動家(かつてガチャ目だったのは機動隊員の暴行による障害)のアジテーターリーダー・テリー伊藤などのようにアナーキズムを標榜する輩は、世の中を混沌となすために、わざと文化の質や権威を落とさしめ、さらに過激にさらに下品な世の中にするべく工作を行っている場合もあるが、これはテリー氏の思想の元に行われている運動なので、共感は出来ないが一定の理解は出来る。昨今転向した気配も見受けられるようだが、氏の本質は死んでも変わることはないだろう。
そういえば昔、心に残る日本の歌という番組を見ていて、漠然と「今は似非ばっかりだな…」と思ったことを思い出した。
80年代という特殊な時代はバブルやイデオロギー主義の消滅など、構造的に何かが大きく変化した時代であった。そのことが「本物」を追い出し「似非」の隆盛を招いた一因であることは間違いないだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」けだし真理であろう。
キャンディーズらピンでは下手すぎてボロが出るのでグループで…という連中が出てきた時に感じた危機感が、現実になったのが80年代と言い換えてもよいかもしれない。
70年代フォーク世代の挫折と自暴自棄とも思える、投げやりな金・権力への擦寄りが生みだした様式が確立した80年代という時代…その萌芽は70年代に出てきた天地真理・浅田美代子や、田原俊彦らジャニーズの登場に象徴を見ることができよう。
いわゆる本物よりも華美な似非を好む文化の台頭である。
昔、聖徳太子の存在を否定した津田左右吉という歴史学者がいた。彼の説を大雑把に要約すれば、歴史上厩戸王子と呼ばれた人間は、居たのかも知れないが、十八条憲法制定などの偉業を成した、国民誰もが知っている聖徳太子というような人物は存在しない。彼は当時の権力者たちによって造られた、架空の人物像であるということになるだろうか。国家で成した業績を、まとめて1人の人物に集約することで、聖徳太子というヒーローを作り出す必要があった人々による、想像上の人物像であろうという説である。考え方としては、現代社会でも事業の成功や大学の研究成果などが、1人のリーダー・学者の功績のように扱われていることを卑近な例として挙げられるかもしれない。
だが、そのような通俗な価値観で計ること自体が問題ではないのか?
大事なのは「聖徳太子」を生み出した精神なのである。
聖徳太子のような存在は、ひとつの理念なのである。道標といいかえてもいい。コロンブスの卵の例を持ち出すまでもなく、それなくしては成り得なかった、目には見えず形も残らない、だが確実に将来へ影響を残すであろう「思考=考え方」そのものが重要なのである。
ゆえに津田氏の説に触れた時、私には理解も容認も出来なかった。もちろん津田氏の生きた時代性ということもあろう。当時軍部が富国強兵を進める上で、聖徳太子や二宮金次郎などを広告塔に使用したことに対するアンチテーゼという背景もあったのだろう。だが、それでもなお聖徳太子を否定したことは、偉人伝にケチを付けて地位を引き摺り下ろそうとする、氏のルサンチマンの発露に思えて仕方がないのだ。
もちろん、氏の功績は記紀の研究方法の手法や検証方法が、現代の歴史学の検証方法などに受け継がれていることを見てもわかる通り、りっぱであったのだろう。だが私は津田氏の書物もウルトラマンが科学的に実在出来ないとする冗談科学論も、「猪口才」という点で同じもののように思えて仕方がないのである。
偉人伝は必要である。
勝海舟も回顧録の中で、思春期・青年期に異性が気になり我慢出来難い時には、スポーツで健康的な汗をかき、偉人伝を読むことで青雲の志を奮い起こした、というエピソードを語っている。
人間が健全な社会という契約世界を維持し続けられるかどうかの鍵を、見事に物語っている名エピソードである。品格というものはまさにこのような精神から生まれて来るものであるのだろう。
偉人の業績を素直に受け止めるられるか否かは、「本物」を認められるかどうか、その人間の精神の在り様に依存しているからだ。
「本物」を認めるには肉体とともに精神が健全であり心が強健であるという条件を満たさねばならない。そうでなければ、己の中のルサンチマンを抑えることが出来ないからだ。そういった修養が出来てない惰弱な精神では、「本物」の持つ迫力に耐えられないのだ。ちょうど訓練を積まずにいきなりプロスポーツが不可能であることと同じだ。肉体同様、心も鍛えぬかなければ本物の持つ重みを受け止め支えることは出来ない。へたに手を出せば、その心はポッキリ折れてしまうだろう。だから昔から「本物(の運動の場)」には近づくな!近づくにはそれなりの準備が必要である!という教えなり教育なりが行われていたのだ。
「健全な精神よ、健全な肉体に宿れかし」
それをなおざりにし、自由と我儘を同義語と勘違いした世代の台頭によって、やがて日本の文化は崩壊してゆくのだが。その発端が80年代に垣間見えたのが「心にのこる日本の歌」という番組によってであったのだ。
番組に登場する本物の歌手たちの朗々と歌い上げる姿を見るにつけて、「正しい精神の鍛え方」という伝承が断絶した=終わったのが、まさに80年代であったのだなあ、と考えた次第である。
2010年2月7日日曜日
「マスコミ」と「事実」は違う
至極名言である。
本日もさまざまな番組でいろいろなことをMCやコメンテーターが我儘に(自由にではない)発言しているが、聞けば聞くほど見苦しい。
その中で一服の清涼剤となった発言が「マスコミ(という存在のなかで発信される文言)と事実(である出来事)は違うものである」という定理である。
これは正しい。どの番組も番組である以上、必要以上に恣意的である。それはCMに代表されるようなイメージ戦略を使用しての、世論の情報操作であったり大衆誘導であったりさまざまだが、ゆえに語られていないことのなかにこそ真実はある。
TVで発信されるような物事には、なんの真実もない、酒場での与太話に等しい。その程度のことであるということだ。
TVにジャーナリズムが存在するという幻想は、過去にはあっても現在にはない。
特に坂本弁護士一家殺人のための個人情報をオウムにリークしたTBSや、さんご礁を自ら破壊し、ダイバーのモラルの低下を訴えた朝日などは信用ならないTV局の大代表だろう。
しかし民間企業である以上それは当たり前のことである。権力におもねり、スポンサー(金力)に尻尾を振らないでTV局の生存はないからだ。
別の見方をすればスポンサーという企業の在り様が社会を形成し、代表的世論にも為り得ることを考えれば、少なくともスポンサーの方を向いているうちは、畢竟我々大衆の方を向いているということになるともいえる。
許せないのはNHKであろう。国民から視聴料という名の税金を毟り取り乍、なにゆえに中立を保てないのか。一部宗教団体・圧力団体におびえてでもいるのか?と思いたくなる報道も散見される。しかも最近はCMの量が増えすぎてとても見づらい。ここでいうCMとは自社制作番組の宣伝CMのことである。酷いときは5分以上もCMを連続で流し続けていたりする。いい加減にしろ!といいたい。NHKは唯一の美点は、くだらない商業CMを見なくて済む、という1点のみにつきるからだ。なのに自社制作番組CMをダラダラと垂れ流しされたのではなんの意味もない。金返せ!といいたくなる。
所詮お茶の間のにぎやかしでしかないTVという存在そのものをニュースソースとするような人間は、程度が知れているということなのか。己の目で見、己の耳で聞いて判断する訓練を積め!TV報道の裏側を類推し、クオリアのようなものを会得する訓練を積め!ということなのかもしれない。
ところでふと素朴に思ったのだが、今の自民党総裁や議員らがTVカメラに向かって愚痴っていることは、いったい誰に向けて発信しているのだろう?どう聞いてみても自民党内部の過去の汚点を自分の口から論っているようにしか聞こえないのだがw
考えて見れば鈴木ムネオも田中真紀子も小沢幹事長も、皆自民党のど真ん中に居た人たちではあるww
本日もさまざまな番組でいろいろなことをMCやコメンテーターが我儘に(自由にではない)発言しているが、聞けば聞くほど見苦しい。
その中で一服の清涼剤となった発言が「マスコミ(という存在のなかで発信される文言)と事実(である出来事)は違うものである」という定理である。
これは正しい。どの番組も番組である以上、必要以上に恣意的である。それはCMに代表されるようなイメージ戦略を使用しての、世論の情報操作であったり大衆誘導であったりさまざまだが、ゆえに語られていないことのなかにこそ真実はある。
TVで発信されるような物事には、なんの真実もない、酒場での与太話に等しい。その程度のことであるということだ。
TVにジャーナリズムが存在するという幻想は、過去にはあっても現在にはない。
特に坂本弁護士一家殺人のための個人情報をオウムにリークしたTBSや、さんご礁を自ら破壊し、ダイバーのモラルの低下を訴えた朝日などは信用ならないTV局の大代表だろう。
しかし民間企業である以上それは当たり前のことである。権力におもねり、スポンサー(金力)に尻尾を振らないでTV局の生存はないからだ。
別の見方をすればスポンサーという企業の在り様が社会を形成し、代表的世論にも為り得ることを考えれば、少なくともスポンサーの方を向いているうちは、畢竟我々大衆の方を向いているということになるともいえる。
許せないのはNHKであろう。国民から視聴料という名の税金を毟り取り乍、なにゆえに中立を保てないのか。一部宗教団体・圧力団体におびえてでもいるのか?と思いたくなる報道も散見される。しかも最近はCMの量が増えすぎてとても見づらい。ここでいうCMとは自社制作番組の宣伝CMのことである。酷いときは5分以上もCMを連続で流し続けていたりする。いい加減にしろ!といいたい。NHKは唯一の美点は、くだらない商業CMを見なくて済む、という1点のみにつきるからだ。なのに自社制作番組CMをダラダラと垂れ流しされたのではなんの意味もない。金返せ!といいたくなる。
所詮お茶の間のにぎやかしでしかないTVという存在そのものをニュースソースとするような人間は、程度が知れているということなのか。己の目で見、己の耳で聞いて判断する訓練を積め!TV報道の裏側を類推し、クオリアのようなものを会得する訓練を積め!ということなのかもしれない。
ところでふと素朴に思ったのだが、今の自民党総裁や議員らがTVカメラに向かって愚痴っていることは、いったい誰に向けて発信しているのだろう?どう聞いてみても自民党内部の過去の汚点を自分の口から論っているようにしか聞こえないのだがw
考えて見れば鈴木ムネオも田中真紀子も小沢幹事長も、皆自民党のど真ん中に居た人たちではあるww
2010年2月4日木曜日
心が和む喜八映画 ♪
TVがつまらなすぎてしょうがないので、岡本喜八の映画を連続で見ている。
やっぱり喜八はいいなぁ~。心が洗われるようだw
スカパー様々というところだ。
今回は未見だった映画が何本も見られて実によい^^v
もともと岸田森が大好きで、その昔出演作を探しては見た中にあった「ダイナマイトどんどん」以降、すっかり喜八に嵌ってしまったのだ。
世の中の不条理に心が折れそうになったときは、喜八に限る。なによりの特効薬だw
まさにエンターテインメントというものの存在がここにある。
「地獄の饗宴」や「顔役暁に死す」などを見ていると、松田優作の角川映画は喜八のオマージュであったことがよくわかる。洒落が効いている分、喜八の方が上等であるw
さあ、また見ようww
やっぱり喜八はいいなぁ~。心が洗われるようだw
スカパー様々というところだ。
今回は未見だった映画が何本も見られて実によい^^v
もともと岸田森が大好きで、その昔出演作を探しては見た中にあった「ダイナマイトどんどん」以降、すっかり喜八に嵌ってしまったのだ。
世の中の不条理に心が折れそうになったときは、喜八に限る。なによりの特効薬だw
まさにエンターテインメントというものの存在がここにある。
「地獄の饗宴」や「顔役暁に死す」などを見ていると、松田優作の角川映画は喜八のオマージュであったことがよくわかる。洒落が効いている分、喜八の方が上等であるw
さあ、また見ようww
2010年2月2日火曜日
ポストモダン?ww
政権交代・日航倒産・百貨店退却・Ipad・アバター・貴乃花理事選勝利…
慌てうろたえた口ぶりでいろいろな出来事をTVニュースでは伝えているが、これは文化の世代交代が完全に成し遂げられようとしている現れではないだろうか?
それもただの世代交代ではない。
精神の大きな変革がまさに2010年の今起こりつつあるのではなかろうか?
昭和はバブル崩壊とともに終わったと思っていたが、完全なる終焉が今なのかも知れない。
それは権力構造にも集金システムにも大きな変革をもたらすだろう。
もう、みの〇んたの時代ではないのだ。
日和見主義で「権力におもねろ!」と叫んでいる、みの世代の時代ではなくなったのだ。
この現象は喜ぶべきことだと思う。そして悲観もしなくていい。人に必要なものはいつの時代にも必ず残されてきた。
そう、どんな時代でもエポックは残る。良し悪しではない。それが古典というものになるのだから。
ならばこれからもエポックを創造できるよう修練すればよいだけのことだ。
硬直したモダニズムはちょうど衣替えの時期に来ているのだ。
衣替えの時期に変えられなかったものは笑いものになるだけである。
メディアもそうなのであろう。いま、まさに新聞・TVというメディアが生き残れるかどうか勝負の時が来ていると思う。
慌てうろたえた口ぶりでいろいろな出来事をTVニュースでは伝えているが、これは文化の世代交代が完全に成し遂げられようとしている現れではないだろうか?
それもただの世代交代ではない。
精神の大きな変革がまさに2010年の今起こりつつあるのではなかろうか?
昭和はバブル崩壊とともに終わったと思っていたが、完全なる終焉が今なのかも知れない。
それは権力構造にも集金システムにも大きな変革をもたらすだろう。
もう、みの〇んたの時代ではないのだ。
日和見主義で「権力におもねろ!」と叫んでいる、みの世代の時代ではなくなったのだ。
この現象は喜ぶべきことだと思う。そして悲観もしなくていい。人に必要なものはいつの時代にも必ず残されてきた。
そう、どんな時代でもエポックは残る。良し悪しではない。それが古典というものになるのだから。
ならばこれからもエポックを創造できるよう修練すればよいだけのことだ。
硬直したモダニズムはちょうど衣替えの時期に来ているのだ。
衣替えの時期に変えられなかったものは笑いものになるだけである。
メディアもそうなのであろう。いま、まさに新聞・TVというメディアが生き残れるかどうか勝負の時が来ていると思う。
2010年1月28日木曜日
いじめ国会
ニュースを見ていて本当にがっかりした
いま国会で何をやっているかというと国民をなおざりにひたすら自民党らによる民主叩きである。
もちろん政敵を完膚なきまでにやっつけるというのは、権力争奪合戦である以上仕方がないのかもしれない。
だが、あまりに品位がなさすぎる。
やじに対して「うるさい」と一喝して何が悪いのか。夫人がイベントに出席して何がいけないのか。
会議中にあくびをしたことをことさらあげつらって非難することに何の意味があるのか。
今の国会を見ていると、すでに学級崩壊ならぬ国会崩壊を起こしているのではないのか。
さらにその崩壊現象に加担しているマスコミの責任は政治家以上だろう。
今のニュースで捏造まがいの洗脳誘導をしているマスコミの連中は今後日本の10年間にたいしてどれほどの責任を取るつもりなのだろう。
否、責任感などまったくないに違いない。
そうでなければこれほど展望のない報道はしないだろうから。
結局目先の欲に駆られて大勢を俯瞰できない連中がやることだ。
津田左右吉の呪いでもあるまいに、日本式文化大革命の成果を今更ながらに見る思いで歯がゆいばかりだ。
いま国会で何をやっているかというと国民をなおざりにひたすら自民党らによる民主叩きである。
もちろん政敵を完膚なきまでにやっつけるというのは、権力争奪合戦である以上仕方がないのかもしれない。
だが、あまりに品位がなさすぎる。
やじに対して「うるさい」と一喝して何が悪いのか。夫人がイベントに出席して何がいけないのか。
会議中にあくびをしたことをことさらあげつらって非難することに何の意味があるのか。
今の国会を見ていると、すでに学級崩壊ならぬ国会崩壊を起こしているのではないのか。
さらにその崩壊現象に加担しているマスコミの責任は政治家以上だろう。
今のニュースで捏造まがいの洗脳誘導をしているマスコミの連中は今後日本の10年間にたいしてどれほどの責任を取るつもりなのだろう。
否、責任感などまったくないに違いない。
そうでなければこれほど展望のない報道はしないだろうから。
結局目先の欲に駆られて大勢を俯瞰できない連中がやることだ。
津田左右吉の呪いでもあるまいに、日本式文化大革命の成果を今更ながらに見る思いで歯がゆいばかりだ。
2010年1月26日火曜日
上手下手
ニュースや国会中継を見ていて、ふと疑問が持ち上がった。
いつから野党を上手(かみて)で撮るようになったのだろう?
今までは与党が上手、野党は下手(しもて)であったと思ったが…
劇・映画などの基本になるが、撮影するときには正義側・権力側を上手で撮影するものである。
昨今基本を忠実に守るカメラマンも少なくなったが、国会中継などはカメラの配置位置は決まっているのではないだろうか。であれば与党は右(上手)、野党は左(下手)というように配置されていてしかるべきだと思うのだが。それとも自由にカメラを設置できるのであろうか?
以前は必ず与党(自民党)が上手で撮られていたように思う。
それが民主党になってから、いや恐らく今年の本国会からであろうが、なぜ与党が下手(弱者的ポジション)撮りになったのだろう?
サブリミナルなどというはるか昔に否定されたカビの生えた迷信を持ち出す気はないが、右利きの多い世間では上手・下手の理論は実際に有効である。
それがわかっているうえでの今回のカメラ位置変更なのだろうことは容易に想像できる。
もしもこの裏に大きな力が動いているのだとしたら…
マスコミ・メディアはすでに政治以上の大きな力に支配され済みなのだとしたら…
なんだか本気で怖くなってきた。
いつから野党を上手(かみて)で撮るようになったのだろう?
今までは与党が上手、野党は下手(しもて)であったと思ったが…
劇・映画などの基本になるが、撮影するときには正義側・権力側を上手で撮影するものである。
昨今基本を忠実に守るカメラマンも少なくなったが、国会中継などはカメラの配置位置は決まっているのではないだろうか。であれば与党は右(上手)、野党は左(下手)というように配置されていてしかるべきだと思うのだが。それとも自由にカメラを設置できるのであろうか?
以前は必ず与党(自民党)が上手で撮られていたように思う。
それが民主党になってから、いや恐らく今年の本国会からであろうが、なぜ与党が下手(弱者的ポジション)撮りになったのだろう?
サブリミナルなどというはるか昔に否定されたカビの生えた迷信を持ち出す気はないが、右利きの多い世間では上手・下手の理論は実際に有効である。
それがわかっているうえでの今回のカメラ位置変更なのだろうことは容易に想像できる。
もしもこの裏に大きな力が動いているのだとしたら…
マスコミ・メディアはすでに政治以上の大きな力に支配され済みなのだとしたら…
なんだか本気で怖くなってきた。
2010年1月22日金曜日
可視化法案
この法案は、可及的速やかに出来るだけ速く可決したほうが良いに決まっている。
一日遅れれば遅れるだけ、どこかで誰かが冤罪に苦しまないと限らないではないか。
それなのにニュースなどで「先延ばしするべきだ」などとのたまっているコメンテーターを見ると、一体何を考えているのか?と大いに疑問に感じる。
法案が可決すると困ることがあるのだろうか?
もちろん警察・検察といった力を行使する側が困るのはわかる。もっとも正々堂々誰にも羞じることなく取調べを行っていれば、なんら困ることはないと思うのだが。
もちろん悪に対抗するには悪で立ち向かわねばならないケースだってあるだろう。
そしてその必要悪を攻撃する勢力もあることは皆知っている。
だが、それが正しい行為、しかるべき行為であるならば、民衆は支持こそすれ反対するものなど1人もいないだろう。反対するのはそれで利益を得る圧力団体や、組織的暴力で生業を為すものたちだけであるからだ。
にも関わらず、可視化法案早期可決に反対するコメンテーターたち…
今、民衆は政治不信よりもマスコミ不信に陥っている。
それがマスコミが思ったよりも、大衆が小沢問題で盛り上がらない原因なのだ。
マスコミは小沢祭りや民主党叩き祭りに火を点けたいのだろうが、もう我々はマスコミのそういった手口にウンザリしている。
そんなことよりも目の前の生活を、明日食べるための米を求めているのだ。我々が欲するのはそういう情報なのだ。どこへいったら働けるのか?どこにいったら飢え死にしないですむのか?
だが、そういう不安をまったく持たないでよい安定したサラリー暮らしのくせに、したり顔で声高に政局を混乱させたがるアナウンサーやコメンテーターたち。
マスコミはこの疑問に答えられるのか?一体誰のためのマスコミなのか?誰の権利を守るためのジャーナリズムなのか?
今、民衆は冷静な視線をTVやマスコミに向けている。
一日遅れれば遅れるだけ、どこかで誰かが冤罪に苦しまないと限らないではないか。
それなのにニュースなどで「先延ばしするべきだ」などとのたまっているコメンテーターを見ると、一体何を考えているのか?と大いに疑問に感じる。
法案が可決すると困ることがあるのだろうか?
もちろん警察・検察といった力を行使する側が困るのはわかる。もっとも正々堂々誰にも羞じることなく取調べを行っていれば、なんら困ることはないと思うのだが。
もちろん悪に対抗するには悪で立ち向かわねばならないケースだってあるだろう。
そしてその必要悪を攻撃する勢力もあることは皆知っている。
だが、それが正しい行為、しかるべき行為であるならば、民衆は支持こそすれ反対するものなど1人もいないだろう。反対するのはそれで利益を得る圧力団体や、組織的暴力で生業を為すものたちだけであるからだ。
にも関わらず、可視化法案早期可決に反対するコメンテーターたち…
今、民衆は政治不信よりもマスコミ不信に陥っている。
それがマスコミが思ったよりも、大衆が小沢問題で盛り上がらない原因なのだ。
マスコミは小沢祭りや民主党叩き祭りに火を点けたいのだろうが、もう我々はマスコミのそういった手口にウンザリしている。
そんなことよりも目の前の生活を、明日食べるための米を求めているのだ。我々が欲するのはそういう情報なのだ。どこへいったら働けるのか?どこにいったら飢え死にしないですむのか?
だが、そういう不安をまったく持たないでよい安定したサラリー暮らしのくせに、したり顔で声高に政局を混乱させたがるアナウンサーやコメンテーターたち。
マスコミはこの疑問に答えられるのか?一体誰のためのマスコミなのか?誰の権利を守るためのジャーナリズムなのか?
今、民衆は冷静な視線をTVやマスコミに向けている。
2010年1月21日木曜日
馬鹿を見る
かつて中国の権力者が、己に味方するものを選別するために行った故事に由来する「馬鹿」という言葉がある。
皇帝の面前に居並ぶ高官たちの前に一頭の鹿を引き出し「陛下、献上された馬で御座います」と口上を述べた。当然皇帝は「これは鹿ではないか?」と聞き返す。そこで周りの高官たち一人一人に馬か鹿かと答えさせ、「馬」と答えたものは重用し、「鹿」と答えたものは左遷や暗殺を行ったという。
今回小沢氏の土地購入問題に関する一連のニュース報道や番組MC、コメンテーターの意見を聞いていて、漠然とこの故事を思い出したのは私1人ではないだろう。
小沢氏側が清廉潔白などとは民衆もとうてい思ってはいないだろう。清廉潔白であったばかりに推挙した弟子を若死にさせてしまった孔子の言葉を思い出すまでもなく、清廉潔白では政治家を続けていくことは不可能であろうことは容易に想像がつくからだ。
しかし、民衆が望んでいることは世の中の安定である。盗殺に頼らないでも生きていける社会の構築である。
多少の悪ではあっても、世の中の安寧のためには必要な悪もあるという事実はみな理解しているのだ。だが、一方ルサンチマンも持ち合わせている。そこを煽り誘導支配していく手段がメディア戦略である。
まさにその戦略がここまであからさまに使用されている現在のTVの現状をどう見ればよいのだろう。
バブル以降、ジャーナリズムの精神や中立性・反骨精神といわれるものがどんどん失われている現実。このまま進んだ結果、この国がどのように変容していくのか。
ふと視点を変えれば面白い時代に生まれてきたともいえるかもしれないw
まさに平安末期、江戸末期、そして大正末期のようでもある。
皇帝の面前に居並ぶ高官たちの前に一頭の鹿を引き出し「陛下、献上された馬で御座います」と口上を述べた。当然皇帝は「これは鹿ではないか?」と聞き返す。そこで周りの高官たち一人一人に馬か鹿かと答えさせ、「馬」と答えたものは重用し、「鹿」と答えたものは左遷や暗殺を行ったという。
今回小沢氏の土地購入問題に関する一連のニュース報道や番組MC、コメンテーターの意見を聞いていて、漠然とこの故事を思い出したのは私1人ではないだろう。
小沢氏側が清廉潔白などとは民衆もとうてい思ってはいないだろう。清廉潔白であったばかりに推挙した弟子を若死にさせてしまった孔子の言葉を思い出すまでもなく、清廉潔白では政治家を続けていくことは不可能であろうことは容易に想像がつくからだ。
しかし、民衆が望んでいることは世の中の安定である。盗殺に頼らないでも生きていける社会の構築である。
多少の悪ではあっても、世の中の安寧のためには必要な悪もあるという事実はみな理解しているのだ。だが、一方ルサンチマンも持ち合わせている。そこを煽り誘導支配していく手段がメディア戦略である。
まさにその戦略がここまであからさまに使用されている現在のTVの現状をどう見ればよいのだろう。
バブル以降、ジャーナリズムの精神や中立性・反骨精神といわれるものがどんどん失われている現実。このまま進んだ結果、この国がどのように変容していくのか。
ふと視点を変えれば面白い時代に生まれてきたともいえるかもしれないw
まさに平安末期、江戸末期、そして大正末期のようでもある。
2010年1月18日月曜日
昨今のニュースを見るだに考える
アメリカも中国も徐々に立ち直りかけている状況で、日本だけが不況から脱することは出来ないだろう。
このような状況下で自民も民主もないだろう。政治家は一丸になって日本を浮上させるために頑張らねば、政治家としての意味はないのではないか?
それを自民は過去の集金システムの復活を夢見て、民主の足を引っ張るばかり、財界も権力を行使して格差を埋める努力を水泡に帰そうと、あの手この手で絡めてくる。
誰も5年後、10年後の日本を考えていない。
これでは諸外国に遅れを取るのは必至であろう。
権力者同士の争いで不幸な目に合うのはいつでも民衆である。だが今は戦国時代でも応仁の乱でもないではないか。
検察だって人間である以上、自分達の暮らしを第一に考えるのは当然であるし、仕方がないことなのかもしれない。
だが、もう一度大きな視野で、今後の日本のために、今何をなすべきか、なにをなさざるべきかを考えて欲しい。
正義は遠まわしに婉曲に行われなければならない。そうでなければ、それは正義ではなくなるからだ。
こんな基本も判らない分別を失くした人間が検察のトップに居るのであれば、その人にこそご退陣願いたいものである。
このような状況下で自民も民主もないだろう。政治家は一丸になって日本を浮上させるために頑張らねば、政治家としての意味はないのではないか?
それを自民は過去の集金システムの復活を夢見て、民主の足を引っ張るばかり、財界も権力を行使して格差を埋める努力を水泡に帰そうと、あの手この手で絡めてくる。
誰も5年後、10年後の日本を考えていない。
これでは諸外国に遅れを取るのは必至であろう。
権力者同士の争いで不幸な目に合うのはいつでも民衆である。だが今は戦国時代でも応仁の乱でもないではないか。
検察だって人間である以上、自分達の暮らしを第一に考えるのは当然であるし、仕方がないことなのかもしれない。
だが、もう一度大きな視野で、今後の日本のために、今何をなすべきか、なにをなさざるべきかを考えて欲しい。
正義は遠まわしに婉曲に行われなければならない。そうでなければ、それは正義ではなくなるからだ。
こんな基本も判らない分別を失くした人間が検察のトップに居るのであれば、その人にこそご退陣願いたいものである。
2010年1月17日日曜日
田原のしっぽが見えてきた
言論誘導のよりどころが読売・毎日・朝日新聞の記事からというところが、まさに象徴的である。
TVもそうだがこの3社は去年の選挙前から民主党批判を繰り返してきたところばかりだ。
警察も検察も権力者サイドの守り手であるのは当然である。ならば現在の真の権力者は誰か?あるいはどこか?という疑問が出てくる。
そういうことを考えさせるほど今のマスコミや検察の動きはおかしい。
政治は必要悪である。民主党も叩けば多少の埃は出るだろう。だが、それ以上に自民の方が埃は山のようにあるはずだ。
なのに民主ばかりを目の敵にする理由はどこにあるのか。
我々民衆はそこを見極めなければならない。そうしないとかつての大政翼賛会のように情報操作でいいように操られていくだけである。
それでもいいよ。だってめんどくさいじゃん。
そう考える人々もいるだろう。いや、そう考えるように教育・誘導するこそことが為政者が長年研究してきた大衆操作の最終目標であるのかも知れない。
メディアはそのための武器であるのだから。
TVもそうだがこの3社は去年の選挙前から民主党批判を繰り返してきたところばかりだ。
警察も検察も権力者サイドの守り手であるのは当然である。ならば現在の真の権力者は誰か?あるいはどこか?という疑問が出てくる。
そういうことを考えさせるほど今のマスコミや検察の動きはおかしい。
政治は必要悪である。民主党も叩けば多少の埃は出るだろう。だが、それ以上に自民の方が埃は山のようにあるはずだ。
なのに民主ばかりを目の敵にする理由はどこにあるのか。
我々民衆はそこを見極めなければならない。そうしないとかつての大政翼賛会のように情報操作でいいように操られていくだけである。
それでもいいよ。だってめんどくさいじゃん。
そう考える人々もいるだろう。いや、そう考えるように教育・誘導するこそことが為政者が長年研究してきた大衆操作の最終目標であるのかも知れない。
メディアはそのための武器であるのだから。
2010年1月8日金曜日
たけしのにっぽんのみかた
「夜ぐっすり眠れるのは、誰かが守ってくれているからだ」 ショーペンハウエル
その手法で言うならば
「米を作ってもいないのに米が食えるのは、誰かが米をつくってくれているからだ」
となる。同じように、
「牛を飼ってもいないのに牛乳が飲めるのも肉が食えるのも、誰かが牛を飼ってくれているから」
であるし、魚にしても野菜にしても、はたまたこのブログにしてもそうだ
そして何物をも生み出さず、貪欲に浪費するだけの人間はまたこういうかもしれない
「モノをつくっていられるのは、誰かがソレを浪費してくれるからだ」と
しかし、それは欺瞞である。モノ作りを瞞着する老獪な罠である。
浪費は罪悪でしかない
ここでいう「浪費」とは己の肉体や精神の必要最低限の糧以上に消費する行為を言う。
消費する行為自体が罪悪と言ってもいいかも知れない。
アイヌのイヨマンテに代表される消費の際の祭りやクリスチャニティに言うところの「原罪」思想である。
今でも他者の生命を奪ってしか生きることのできない我々は、食材に対する感謝の念で「(あなたの命を)いただきます」の精神で食事をしている。
その精神があれば浪費はしない。当たり前のことである。
浪費は原罪(消費)以上に罪を重ねる大悪であるからだ。
それが己の才覚で得られるもの以上のモノを消費しているのであればなおさらだ。
その分別を持てるようになってはじめて「大人」と呼ばれるようになる。
「大人」とは一種の身分であって、年齢を経れば得られるものではない。
身分相応の考え方・精神を得るための、努力や才能が必要なのである。
今日の番組はそのことをより印象付けるための一種の警鐘番組であったのだろう。
たんなる世代間抗争の結果であってよいはずはない。
そう信じなければお先真っ暗ではないか…
その手法で言うならば
「米を作ってもいないのに米が食えるのは、誰かが米をつくってくれているからだ」
となる。同じように、
「牛を飼ってもいないのに牛乳が飲めるのも肉が食えるのも、誰かが牛を飼ってくれているから」
であるし、魚にしても野菜にしても、はたまたこのブログにしてもそうだ
そして何物をも生み出さず、貪欲に浪費するだけの人間はまたこういうかもしれない
「モノをつくっていられるのは、誰かがソレを浪費してくれるからだ」と
しかし、それは欺瞞である。モノ作りを瞞着する老獪な罠である。
浪費は罪悪でしかない
ここでいう「浪費」とは己の肉体や精神の必要最低限の糧以上に消費する行為を言う。
消費する行為自体が罪悪と言ってもいいかも知れない。
アイヌのイヨマンテに代表される消費の際の祭りやクリスチャニティに言うところの「原罪」思想である。
今でも他者の生命を奪ってしか生きることのできない我々は、食材に対する感謝の念で「(あなたの命を)いただきます」の精神で食事をしている。
その精神があれば浪費はしない。当たり前のことである。
浪費は原罪(消費)以上に罪を重ねる大悪であるからだ。
それが己の才覚で得られるもの以上のモノを消費しているのであればなおさらだ。
その分別を持てるようになってはじめて「大人」と呼ばれるようになる。
「大人」とは一種の身分であって、年齢を経れば得られるものではない。
身分相応の考え方・精神を得るための、努力や才能が必要なのである。
今日の番組はそのことをより印象付けるための一種の警鐘番組であったのだろう。
たんなる世代間抗争の結果であってよいはずはない。
そう信じなければお先真っ暗ではないか…
2010年1月7日木曜日
2022
人類は3種に分類されるようになった。いわくS(サイボーグ)・BS(バイオサイボーグ)・N(ナチュラル)である。
致死(キラー)遺伝子の解析によるバイオファージ医療の進化により、相応の資金があれば人はその寿命を3倍に延ばすことに成功したからだ
すでに21世紀初頭においても一部利用されていた技術により先駆となった人物もいた
Sの代表には、故マイケル
BSの代表には、桃井・BS・かおり がいる
S・BSともに莫大な費用が必要なため、数は限られる
尚、整形に関してはいまだに議論が分かれる
整形の中でも外部部品を使用した場合はSに入るが、自己遺伝子によるクローン部品を含むか含まないかで意見が2分されているためである
致死(キラー)遺伝子の解析によるバイオファージ医療の進化により、相応の資金があれば人はその寿命を3倍に延ばすことに成功したからだ
すでに21世紀初頭においても一部利用されていた技術により先駆となった人物もいた
Sの代表には、故マイケル
BSの代表には、桃井・BS・かおり がいる
S・BSともに莫大な費用が必要なため、数は限られる
尚、整形に関してはいまだに議論が分かれる
整形の中でも外部部品を使用した場合はSに入るが、自己遺伝子によるクローン部品を含むか含まないかで意見が2分されているためである
2010年1月4日月曜日
カンブリア宮殿はおもしろい
今日の小沢一郎は面白かった。
どの局も民主叩きや小沢叩きに汲々としている中、これほどストレートに小沢一郎を紹介した番組はなかったのではないだろうか。
横道に反れるが、昨今、制作現場では創価学会による統一・統制が着々と進められてきた経緯がある。実際芸能界やTV業界において、学会員でない人間を探す方が難しい。すでにアニメ業界ではほぼ創価による統制は終盤にさしかかりつつあり、これは(創価学会員の)スポンサーからの指示もあるが、学会員でない監督や演出家といったトップの追い出しに、ほぼ成功しているという現実があるからだ。その結果素人同然の監督や演出が増加し、いまやアニメは見る影もなくクオリティは低下しまくっている。
創価の作戦は大学などで青年同盟が行うのと同じ手法が取られている。まず、創価関係の息がかかったスポンサー等の要求で、実績がないものがいきなり監督やPに登用されたかと思うと、登用された人物がその仲間達を現場に次々と参入させて、占拠する会社なり現場での昔からの実力者を追い出して学会員でトップを固めて行くのだ。ひとつの会社の制圧が終了すると、また別の会社へ移籍して同じことを繰り返す。そうして気が付くと学会員でないものは誰もいなくなるという仕掛けである。もちろん社内が全員そうというわけではない。そういう会社も存在するが、大概はPや監督・演出といった制作現場を仕切るトップが学会員に占められているということだ。
まあ本題はそのことではなく、小池栄子(創価学会員)をアシスタントにして、メーソンリーである(と噂の)小沢一郎とリベラルな村上龍との対談が、絵としても内容としても実に面白く有意義であったということである。
日本TVや毎日放送、TV朝日などではまず不可能であろう番組内容であった。東京12チャンネルが、ますます謎な存在になってしまったw
どの局も民主叩きや小沢叩きに汲々としている中、これほどストレートに小沢一郎を紹介した番組はなかったのではないだろうか。
横道に反れるが、昨今、制作現場では創価学会による統一・統制が着々と進められてきた経緯がある。実際芸能界やTV業界において、学会員でない人間を探す方が難しい。すでにアニメ業界ではほぼ創価による統制は終盤にさしかかりつつあり、これは(創価学会員の)スポンサーからの指示もあるが、学会員でない監督や演出家といったトップの追い出しに、ほぼ成功しているという現実があるからだ。その結果素人同然の監督や演出が増加し、いまやアニメは見る影もなくクオリティは低下しまくっている。
創価の作戦は大学などで青年同盟が行うのと同じ手法が取られている。まず、創価関係の息がかかったスポンサー等の要求で、実績がないものがいきなり監督やPに登用されたかと思うと、登用された人物がその仲間達を現場に次々と参入させて、占拠する会社なり現場での昔からの実力者を追い出して学会員でトップを固めて行くのだ。ひとつの会社の制圧が終了すると、また別の会社へ移籍して同じことを繰り返す。そうして気が付くと学会員でないものは誰もいなくなるという仕掛けである。もちろん社内が全員そうというわけではない。そういう会社も存在するが、大概はPや監督・演出といった制作現場を仕切るトップが学会員に占められているということだ。
まあ本題はそのことではなく、小池栄子(創価学会員)をアシスタントにして、メーソンリーである(と噂の)小沢一郎とリベラルな村上龍との対談が、絵としても内容としても実に面白く有意義であったということである。
日本TVや毎日放送、TV朝日などではまず不可能であろう番組内容であった。東京12チャンネルが、ますます謎な存在になってしまったw
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